屏風・障子などの絵も文字もかたくななる筆やうして書きたるが、見にくきよりも、宿のあるじのつたなく覚ゆるなり。

大方、持てる調度にても、心劣りせらるることはありぬべし。
さのみよき物を持つべしとにもあらず。
損ぜざらんためとて、品(しな)なく見にくきさまにしなし、珍しからんとて、用なきこととどもし添へ、わづらはしく好みなせるをいふなり。
古めかしきやうにて、いたくことことしからず、ついえもなくて、物がらのよきがよきなり。

 

屏風や障子にかかれている絵も文字も、やぼったい筆遣いでかかれているのを目にすると、みっとむないなあと思うより先に、その家の主人がつまらない人に思えてくるものだ。

だいたいにおいて、持っている物で、その人に幻滅させられることは、たしかにあることなのだ。
そうだからといって、なにもよいものを持たなければならない、というのでもない。
つまりは、本体が傷むことがないようにと、品のないみっとむないカバーをかけてみたり、逆に珍しく見せようと、無用の飾りをなどをつけたりして、わざとらしく趣向を凝らしてみせているのをいうのだ。
オーソドックスで、あまり派手ではなく、かつ高価でもなく、品物がよい、というのがいいのだ。

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こういう趣味の範疇に属することは、「おじさん」と「おじさん以外」の方々ではかなり違うのではないか、という気がする。

すくなくとも、服飾においてのおじさんたちの基本コンセプトは、目立たない、ということにありそうな気がするんだが、若い人や女性のそれは必ずしもそうではないように見受けられる。

まあ、私に、持ち物の趣味云々を言う資格は、そもそもないんですが。