唐の物は、薬の外は、なくとも事欠くまじ。
書(ふみ)どもは、この国に多く広まりぬれば、書きも写してん。
もろこし舟の、たやすからぬ道に、無用の物どものみ積みて、所せく渡しもて来る、いと愚かなり。
「遠き物を宝とせず」
とも、
「得がたき貨(たから)をたふとまず」
とも、文にも侍るとかや。

中国から渡来する物は、薬のほかは、なくて困るような物もあるまい。
中国の書物などは、もう、この国にもたくさん広まっているのだから、書き写せばいいだろう。
中国の船が、容易でもない航路を、要らぬ物ばかりを、船の場所が狭くなるほどにたくさん積んで渡って来るのは、実に愚かなことだ。
「遠き物を宝とせず」
という言葉や、
「得がたき貨を貴まない」
という言葉も、古い書物にはございますとか。

 

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「宝」とは、その人が大切に思うもののことです。
もちろん、一人一人それはちがっています。
とはいえ、私たちは、ついつい、自分が今持っている宝ものではなく、みんなが欲しがるものが宝なのだと、思いちがいをしてしまったりします。

そういえば、こんな言葉を書いた人がいたことを思い出しました。

 

 わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かはつてゐるのをたびたび見ました。
 わたくしは、さういふきれいなたべものやきものをすきです。

       ― 宮沢賢治 「注文の多い料理店 《序》 ―