いにしへの 奈良の都の 八重桜

 

   けふ九重(ここのへ)に にほひぬるかな

 

 

    伊勢大輔

 

 

伊勢大輔(いせのたいふ)。
名前は似ているけれど、十九番の「あはでこの世をすぐしてよとや」の歌を詠んだ伊勢とは関係はありません。

この人は、「みかきもり」の歌を詠んだ大中臣能宣の孫娘です。
中臣氏(大中臣氏)というのは、そもそも、宮中の祭礼をつかさどる家柄で、彼女のお父さんは伊勢神宮の祭主だったので、中宮彰子に仕えた際、この名になったらしい。

 

詞書に曰く、

 

一条院御時、ならの八重桜を人の奉りけるを、その折御前に侍りければ、その花を題にて歌よめとおほせごとありければ

 

(一条院の御世、奈良から八重桜を人が献上されたことがあった折、その場にお仕えしていたところ、「その花のことを題にして歌を詠め」と御命令があったので)

 

当時、彼女は、中宮彰子に仕え始めたばかりの頃で、歌の家柄に生まれた娘がどんな歌を詠むかと、場に居合わせた全員が固唾を呑んで見守る中で、彼女はこの歌を即興で歌ったわけです。

結果は

殿を始め奉りて万人感嘆、宮中鼓動す

と「袋草子」という本に書いてあるらしい。
「万人感嘆、宮中鼓動」はすごいですな。
どよめいたんでしょうな。

 

さて、人々が何にどよめいたか、見ていきましょう。

「いにしへの」

「いにしへ」は漢字で書けば「古」ですが、言葉の成り立ちからいけば、 「いにし」は

ナ変動詞「いぬ(去ぬ・往ぬ)」の連用形「いに」+過去の助動詞「き」の連体形「し」

ですね。
そこに、「あたり」とか「方向」を表す「へ」(辺)という名詞が付いたものが「いにしへ」です。

で、意味は「遠く過ぎ去った昔」ということになります。

 

「九重」というのは、もちろん、ものが九つ(あるいは、転じて、「数多く」)重なることですが、それよりなにより
「九重」とくれば、それは「宮中」ということです。

日本の皇居(御所)の造りはきわめて簡素なものでしたが、中国のそれは門が九重にめぐらされていた中にあったというので、「九重(きゅうちょう)」と呼ばれていたのを、日本風に読んだものです。

 

あと大事なのは

にほふ

 これは「よい香りがする」という意味ではとらえないでください。
もちろんそんな意味もあるのですが、基本的にこれは

美しい色に染まる

もしくは

色美しく映える

という意味です。

 

では訳してみましょう。

 

遠い昔
花と謳われた あの奈良の都
そこに咲き誇り、美しく都をいろどった八重桜が
今日は この京の都の 九重の宮の中に
色美しく照り映えていますよ

どうです?
あなた、「鼓動」しましたか?

してないと困るので、ちょいと解説を加えてみましょう。

まず、歌は

《いにしへ「」奈良「」都「」八重桜》

と「の」という言葉を重ねて連体修飾を重ねた「八重桜」が出てきます。
そ「八重」を受けて、今度は「九重」と続くところが一首の眼目なんですが、ふと気づけば、ここには「奈良の都」の「な」の音に「七」をしのばせて、実は「七・八・九」と続いている。

なおかつ、「けふ」は「今日」と「京」の掛詞であり、「九重」は「九重」と「ここの辺」=「ここいらあたり・ここらへん」の掛詞であることを踏まえれば「いにしへ」と「けふ」と時間を対比させ、なおかつ「奈良の都」と「京ここの辺の九重」と場所をも対比させている。

 

どうです、どよめきましたか?

 

過ぎし世の 奈良の都の 八重桜

 

  今日宮中に 咲き匂います