だが、こうして振りかえってみると、私たちが血相を変えてこの人(小林秀雄)の後を追いかけていたあの昭和二十年代こそ、貧しくはあっても日本人が心の気高さをもっとも真剣に追いもとめた時代であったように思われてくる。

 

― 木田元 「心の気高さ」―

 

小林秀雄を特集した「別冊 太陽」を読んでいたら、木田元が「小林秀雄が読まれた時代」と副題のついたエッセイを寄せていた。

引用の文章はその末尾である。

題名を気にせず読んでいたので、この末尾の文章で、私は衝撃を受けた。
「気高さ」ということばを久しぶりに目にしたからだ。

「気高さ」とか「気高い」などということばはもう日本人の誰も口にしない。
死語である。
すくなくとも私にとってはそうだった。
つまり、それは、その指し示すものが私の心から消えてしまっていたということだ。

けれども、私はこの言葉を知っている。
聞いたことがあるのだ。
どこで?
ずっと考えていて、夜になって、こんな文部省唱歌を思い出した。

 

 「野菊」

 

遠い山から 吹いてくる

こ寒い風にゆれながら、

けだかく、きよくにおう花。

きれいな野菊 うすむらさきよ。

 

そうだ、これは私の好きな歌だった。
そして、この歌を私たちが小学校で歌ったころは、まだ「気高い」という言葉は生きていたのだ。
にもかかわらず、私の中ではそれはすっかり眠りこんでいたのだ。

というわけで、なんだか、よくはわからないが、今日は、この「気高さ」という言葉にいたく衝撃を受けてしまったのだ。

そうだ、気高く生きよう!

とさえ思ってしまった。

ひょっとしたら、今朝の司氏の句にあった、「ななたびの春雷」の《諌め》とはこれだったかもしれない。