〈痛い〉ということは人生にとって厳粛な現実であるが、〈痛くない〉ということも深刻な現実である。
作業から帰って、地下足袋を脱ごうとしたが、なかなか脱げぬ。よく見ると足袋の裏底から肉に釘が刺さっていた、ということはよくある。

 

ー神谷美恵子 「こころの旅」―

 

上は、神谷美恵子の著書の中で引用されている『無痛禍』と題する〈らい〉患者の文章の一部である。

自分の足に釘が刺さってもわからないというのは、どういうことか、と思うかもしれないが、神谷はつづく文章でこう解説している。

この病気の原因である〈らい〉菌は、好んで身体表面の末梢神経の中に宿るため、右のようなことが起こる

〈痛み〉を感じなくなるのはこわいことだ。

それはたぶん体にとってだけの話ではないだろう。
わたしたちのこころが〈痛み〉を感じなくなることも、そしてまた、わたしたちの社会が〈痛み〉を感じなくなることも、同じようにこわいことだ。

〈痛い〉という感覚は、「末梢神経」が中枢に告げる警告である。
それがなにかによって冒され、本来告げるべき警告を発しなくなっていたとしたら・・・。

厚顔無恥な安倍という男とその取り巻きが毎日毎日まき散らす害毒によって、この国に本来あったはずの健全な社会の〈痛み〉の感覚が消え失せようとしているような気がする。

一つの社会が、自らが傷つき壊れていく〈痛み〉に無感覚になっていくことは、その社会の死を意味するだろう。