写真は映画のポスターで、女性の暗殺者の話らしい。
この手も嫌いではないが、気になったのは《アトミック》という言葉だ。

昔のプロレス技に<アトミック・ドロップ>というのがあった。
狼騎に確認せんといけないが、確かジャイアント馬場が相手を後ろから持ち上げ、相手の尾てい骨を自分の膝に落とすんじゃなかったっけ。

アントニオ猪木の技のネーミングはもっと凄い。
<原爆固め>。
<ジャーマン・スープレックス>ともいうが、こっちだと何だか喫茶店の朝食みたいだ。

今日なら×印が付きそうな危ないネーミングが、戦後二十数年の日本ではOKだった訳だ。
いわば<アトム>は時代の寵児だった。
夢希望に満ちたエネルギーだった。
東海原子力村で事故があったような記憶もかすかにあるが、殆どの人はその怖さを知らなかった。被爆国であるというのに。
この先、怖さ知らずの道へまだ進もうとしている。
ゴミの処理も出来ないのに、財産増やしてどうする。

 

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おたよりありがとうございます。

わたしたちが子どもだったころのプロレスというのは、敗戦以来、国民の心の中にわだかまり鬱積してあった反米(嫌米)のはけ口だったような気がします。

悪役外人に我慢に我慢を重ね、ついにはそれをやっつける日本人レスラー。
ひょっとすれば、それは、今で言う、いわゆる「自爆テロ」の代替物だったかもしれない。

プロレスが、ゴールデンタイムから消えていったのは、ジャパン・アズ・ナンバーワンとして日本が経済的に発展を遂げた時期に重なるでしょう。

今、安倍の演説に日の丸を持って駆けつけ、嫌韓・嫌中を声高に叫ぶ人々を見ていると、なにやらあの当時プロレスを見ていた人と重なったりします。
たぶん、彼らは自分に自信がないのでしょう。

追伸

今週の金曜日に帰るつもりでいます。

 

すてぱん