ある者、小野道風(おののとうふう)の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを、ある人、
「御相伝、浮ける事には侍らじなれども、四条大納言撰ばれたる物を、道風書かん事、時代や違(たが)ひ侍らん。
おぼつかなくこそ」
と言ひければ、
「さ候へばこそ、世にありがたき物には侍りけれ」
とて、いよいよ秘蔵しけり。
ある者が、小野道風の筆写した和漢朗詠集というのを持っていたところ、ある人が
「家のお言い伝えは、根拠のないことではないのでございましょうが、四条大納言・藤原公任がお撰びになられた「和漢朗詠集」を、(公任が生まれた年に亡くなった)道風が書くなどということは時代が合わないのではありませんか。
どうも、そのへんがしっくりこないのですが」
と言ったところ、
「そうであるからこそ、これは世にも珍しい物なのですよ」
と言って、ますます秘蔵したそうな。
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私たちが大学生のころ――と言っても、わたしはもう大学生ではありませんでしたが――モナ・リザが日本にやって来たことがありました。
一般公開を前に、当時、首相だった田中角栄氏は、絵を前にしてこう言ったものでした。
「うーん、これはホンモノだ」
私、思わず、笑つたことを覚えています。
彼がその絵に感動なさったのかどうかはわかりませんが、絵のすばらしいさを、ニセモノかホンモノか、という言葉で判定してみせているのがとてもおもしろかったのです。
さて、この「和漢朗詠集」、小野道風が書いたというのは嘘に決まっていますが、有名な書家が書いたというだけで、それを秘蔵なされたこの人を嗤える人は、現代においてもそれほどたくさんおられないこと、テレビの「なんでも鑑定団」を見ていればわかります。
人は、実より名をたっとぶものらしうございます。