ほほづきに打水垂りてゐる夕べ
幼年は世を隔つるばかりに杳(とほ)し
上田三四二
夏草が獰猛にはびこる寺町の庭で鎌を振るっていると、背丈をこえる草の下に隠れてホオヅキが赤く色づいていた。
鳥が種を運んだのだろうか、去年はなかったその赤い実が思いがけず、鎌を振る手をしばらく休めて見入ってしまった。
部屋に戻っても、庭の隅にホオヅキがあることが何かうれしかった。
うまくいえないなにかが心をあたたかくしていた。
よくわからないなつかしさがずっと心にあった。
ようこちゃん、のりこちゃんといった。
近所に住む姉のなかよしだった。
まだ小学校に入ってはいなかった私はそんな姉たちの遊びの輪の中にいた。
ホオヅキのさやをたてに裂き、それを下におろすと赤い丸い実がぽつんとある。
その赤く色づいた実を指でやさしく揉みほぐす。
そして、すっかりやわらかくなった実をさやから取り外すと、その付け根に穴をあけて、彼女たちは中の種をすっかり取り出すのだ。
そして、そこに息を吹き込み口の中で音を鳴らす。
そんなたわいない遊びの横にいて、私も同じようにやって見るのだが、一度だってうまくいったことはない。
そもそも、うまく種を出せたことがないのだ。
種を出す時いつも皮が破れてしまうのだ。
それで、姉が中身を出してくれた奴をもらって吹いてみるのだが、彼女たちのように上手に鳴らすことはできなかった。
だから、私は今でもホオヅキの鳴らし方を知らない。
今日引用した上田三四二にお姉さんがいたのかどうか。
けれど、「ほほづき」が幼年に結び付くのは、ホオヅキというものが女の子の遊び道具だったからだし、そんな女の子の遊びに男の子が加わるのは、幼年期だけのことだからだろう。
それは、ふしぎにやさしい思い出だ。
ホオヅキ。
いま、ホオヅキを鳴らす子なんているのだろうか。
ホオヅキは見るだに可憐だ。
けれど、ホオヅキに幼年時のふしぎにやさしい郷愁をいだく世代というのも、ひょっとすれば私たちが最後なのかもしれない。