こんな日は中村稔の詩集を開く。
たとえば、こんな詩がある。

 

 

    器物

 

 4 高麗

薄明の海をながれる藍よりも
さらに淡い器物の青に
ひたすらに一日の憂悶を鎖す。

わが祖父たちの奪ったもの、
わが兄弟たちの掠めたもの、
ついに奪いえず、掠めえなかったもの。

自らを恃んで傲らぬもの、
謙抑にして自らを卑しめぬもの、
故宮の城壁を劃る空よりも
さらにはるかなるもの。

その淡い器物の青に
夏を鎖し冬を鎖し時を鎖し
ひたすらに憂悶を鎖し、かえって
憂悶のふつふつと湧きくるを知る。

 

読んでいると、私もまた、高麗青磁のその青を静かに見る目を持たねばならないと思う。

その器物の淡い青の中にある

 故宮の城壁を劃る空よりも
 さらにはるかなるもの。

をみずからのうちに保たねばならないと思う。

 自らを恃んで傲らぬもの、
 謙抑にして自らを卑しめぬもの、

をみずからのうちにつちかわねばならないと思う。

そうして、今、彼らが、私たちから奪おうとし、掠めようとしているものを、私たちは

 ついに奪いえず、掠めえなかったもの

にしなければならないのだと思う。

 

昼、雷鳴はもう聞こえない。
ヤギコは椅子に眠っている。