おまえさん、人を殺しなすったことがあるかい。

ねえだろ。

いくら洗っても洗っても、どうしても落ちねえ血の匂いが、死ぬまでついてくる。

あっしを、見ておくんねえ。

いつも、目に見えねえ重い鎖を引きずって歩ってる。

 

 

― 映画 「緋牡丹博徒」―

 

先日徒然草の「ぼろぼろ」の章段を訳してみたあと、高倉健の「唐獅子牡丹」の映画の予告編をユーチューブで観ていた。
そのとき、くだんのシリーズの予告編が連続して流れたあと、次は「緋牡丹博徒」の予告編になった。
ぼんやりとそのまま見ていた私は、その中の、高倉健が藤純子に向かって冒頭に引用したセリフを言う場面で、思わずハッとした。

おまえさん、人を殺しなすったことがあるかい。

もちろん、このセリフは任侠の世界に生きた男の言葉として吐かれている。
そして、高校生の頃これを観た私も、そう思って聞いただろう。
けれども、ほんとうにそうだったのか。

今思えば、私たちが高校生のころというのは、実は戦争が終わって、まだニ十数年である。
戦場で戦い、生きて帰って来た男たちの多くは、四十代だったはずだ。
その男たちは、このセリフをはたして他人事として聞いたのだろうか。

先月、国に帰ったとき、狼騎氏に勧められて映画「野火」を観た。
こちらに帰ってから、原作である小説も読みかえした。
その感動は深く、まちがいなくこれは戦後文学のひとつの頂点を示す傑作であることを再確認した。

作品の中で、主人公の田村一等兵は与えられた人肉を食べる。
だが、主人公は、誰も殺さない。
すくなくとも「敵」を殺してはいない。

私たちの高校二年の国語の教科書には、同じ大岡昇平が書いた『俘虜記』の「捉まるまで」が載っていた。
その中でも、主人公である「私」は自分の射程に入った若い米兵を殺さなかった。
彼は「殺さなかった兵隊」だった。

大岡昇平は「殺さなかった兵士」として日本に戻ってきた。
彼は小説に書いた。

だが、あの戦争が終わって祖国の土を踏んだ多くの日本の男たちの、その何割かは「殺した兵士」であった。
彼らは語るべき言葉を持たなかった。
彼らは、ただ黙って、いつも、目に見えねえ重い鎖を、引きずって歩いていた。

映画の中では、高倉健の演じる渡世人は、このセリフのあと、藤純子の演じる「お竜さん」に、人を殺すことになる立場に立つことをやめさせようとする。

目に見えない鎖の、その重さは、それを引きずっている者にしかわからない。
なにしろ、誰にも見えないのだ。
だからそれはとても辛い。
その辛さを知っていればこそ、その見えない重い鎖を、あんたに背負わせたくはない、と高倉健は言う。

黙って、目に見えない重い鎖を引きずって歩いていた男たちもまた、この高倉健と同じ思いを持っていたはずだ。
自分の子や孫に、この見えない重い鎖を引きずらせたくはない。
口に出されぬそんな思いが、憲法九条を裏から支えていたのだと私は思う。

戦後70年、無言のうちに裏から支えていたそのような思いは、語られぬままに、今、人々の意識から消えようとしている。

「隊員の諸君は、そうでなくても常にリスクを負っているのだ」
安倍首相は「この法案によって自衛隊員のリスクが高まるのでは」という質問に対してそういった。
だから、その「リスクを減らすために」その武器使用基準をゆるめるのだという。
そうして、昨日の未明、その取り巻きたちは、日本の安全に直接関係を待たない外国に自衛隊を送り出す、憲法に何の根拠も持たない法律を成立させた。

そもそも、安倍首相もその取り巻きも、人の痛み、に対する想像力がない人たちだ。
すくなくとも彼らは、兵士らが加害者になった時から引きずることになる、あの≪見えない重い鎖≫の痛みを理解しない人たちだ。
なぜなら、彼らは、自分たちが隊員たちを加害者の立場に立たせることなるのだという、加害者としての自分の責任が理解できない人たちなのだから。
そもそも軍事的な「抑止力」などという発想は、常に自分を≪被害者≫の立場でしかものを見ない者たちのものだ。

今回成立した安保法案は、今後の日本にとって≪重い鎖≫になるだろう。
けれども、それは≪目に見える鎖≫だ。
≪目に見える鎖≫は断ち切ることができる。

そのために私のできる小さなことを積み重ねていきたいと思う。