ある人のいはく、年五十になるまで上手に至らざらん芸をば捨つべきなり。
励み習ふべき行末もなし。
老人の事をば、人もえ笑はず。
衆に交はりたるも、あいなく見ぐるし。
大かた、よろずのしわざは止めて、暇(いとま)あるこそ、めやすくあらまほしけれ。
世俗の事に携はりて生涯を暮すは、下愚の人なり。
ゆかしく覚えん事は、学び聞くとも、その趣を知りなば、おぼつかなからずして止むべし。
もとより望むことなくして止まんは、第一の事なり。

 

ある人が言うことには、年が五十になるまで上手の域に達しないような芸は捨てるべきだ。
仮に一生懸命習ったにしても、その年ではたどりつく行く先があるわけではない。
だからといって、老人のやっていることなので、人も笑おうにも笑うことができない。
それに老人が多くの人に交わっているのは、イヤな感じでみっとむない。
だいたい、その年にもなったら、たいがいの仕事は止めて、暇があるというのが、見た目もよく好ましいものだ。
そもそも世俗の事柄にかかわって生涯を暮すなんてのは、大バカ者のやることだ。
知りたいと思う事は、学び聞いたにしても、そのだいたいのことを知ったならば、はっきりしないことがなくなったぐらいでやめるべきものだ。
もっとも、始めから知りたいとも思わずすませてしまうのが、一番よろしいことは言うまでもない。

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どこまでが《ある人》の言ったことで、どこからが兼好の意見なのかが、判然とはしないが、要はまあ、これ全体が兼好の意見なのだろう。
兼好は、いつだって、酒飲みと年寄りには厳しい。

ところで、

世俗の事に携はりて生涯を暮すは、下愚の人なり

の日本代表みたいなお方が、わが高校の先輩にもいらっしゃるようでございますが、なかなかコマッタもんですな。
まあ、そもそもそのような自覚もないところが、あの方の下愚の人たるゆえんなのでしょうが、実にあいなく見ぐるしいことでございます。

にがむにがむ。