「たんとお嗅ぎなさいまし」

 

 

― 白鳥省吾 「花屋のマダムに」 ―

 

 

午前中本を読んでいると、ドアがたたかれ、箱に入った花が届いた。
そうか、誕生日なのだ。

それにしても、贈らるるに、花ほどよいものがまたとあろうか。
花を箱から取り出したとたん、くすんだ部屋によい香りがあふれ、えもいわれずよい気持ちになる。

とりあえず、読んでいたカビくさい歴史の本を読むのはやめにしよう。
まずはコーヒーを入れ、それから、昨日人からもらったラスクをつまもう。

そう思って、ポットに生けた花を見ながらコーヒーの豆を挽いていたら、こんな詩があったことを思い出した。
白鳥省吾という大正期の詩人の「花屋のマダムに」。

 

〈私〉と〈友人〉は、秋の雨が泣くやうに降って居るパリのカフェで、珈琲を啜りながら、世界の貧しさについて語り合ってます。
そして、やがて珈琲を飲み終えた〈私達〉は、パリの街を歩きます。
晩秋の都会は建物も濡れ、路も濡れ、樹も濡れ、灯も濡れています。
そしてそこを歩く二人も煙る雨の吐息のやうなこころで街を歩きまわるのです。

さて、そんな二人は、とある街角に花屋を見つけます。
その花屋の開かれた玻璃扉の外まで漏れてくる花の香に、友人が少年のように叫びます。

「いい香がするよ」

その声に〈私〉も窓際に寄って叫びます。

「ああいい香だ」

そんな二人を不意に、後から優しく驚かせたものがありました。

「たんとお嗅ぎなさいまし」
と物柔かな花のような美しい言葉が、私達の耳に流れました。

それは、小さな子をおんぶしながら〈私達〉を見てもらしたその花屋の女主人らしい若いマダムの言葉でした。

その言葉に二人は感激します。
とても幸せになります。

彼らが感激したのは、遠い異郷にあって、やさしい言葉に飢えていたからにちがいありません。
けれども、彼らが深く感動したのは、その若いフロリストの言葉が、実は、花たちが声にならぬ声で私たちに語りかけている言葉の見事な翻訳だったからではなかったでしょうか。

「たんとお嗅ぎなさいまし」

机の上の美しい花たちが今日は私にそう語りかけています。