「手は痛みませんか」
「すこし」

 

― 井伏鱒二 「岬の風景」―

 

倫理のレポートを書いていた愛ちゃんが、笑いながら

「講義している先生が何回も『密室の恋』『密室の恋』って言うから、そのたびに何のことだろうと思ってた」

と言うから、私も何のことかと思ったら、それは「未必の故意」のことだった。

とはいえ、「密室の恋」というのも、なかなか捨てがたいですな。
「密室の恋」などと言うと、私なんぞ、まず、井伏鱒二の「岬の風景」の

「手は痛みませんか」

を思い出してしまうのであるが、これでは笑ってしまって、恋にならないかもしれないので、私、昔、岩崎宏美が歌っていた

あなたがいて 私がいて
ほかになにもない
ただ 秘密の匂い立ちこめるだけ~

         

なんて歌を歌ってみせたのだが、むろん愛ちゃんは知らぬ歌だった。

そんな「密室の恋」にも、たぶん、〈倫理〉というものはあるのかもしれないが、まあ、なくてもかまわない。
好きにしてください。

けれども、「未必の故意」というのはイケマセンな。
それはまさしく〈倫理〉に、もとることです。

言うまでもなく、それは、起きる可能性があることを知りながら、
「まあ、めったなことでは起きないだろうし、起きてもかまわないや」
というんでやってしまうことですからね。

日本の政治にはこれが多すぎます。
原発再稼働、なんてのがその最たるものです。

あの事故から今日で4年11カ月、いったいこの国の政治家たちは、〈責任〉ということをどう考えているんでしょうか。