若き時は、血気うちに余り、心、物に動きて、情欲多し。
身を危ぶめて砕けやすき事、珠(たま)を走らしむるに似たり。
美麗を好みて宝をつひやし、これを捨てて苔の袂(たもと)にやつれ、勇める心盛りにして、物と争ひ、心に恥ぢうらやみ、好む所、日々に定まらず。
色にふけり情けにめで、行ひいさぎよくして、百年(ももとせ)の身を誤り、命を失へるためし願はしくして、身の全く久しからん事をば思はず。
好ける方に心ひきて、ながき世語りともなる。
身を誤つ事は、若き時のしわざなり。

老いぬる人は、精神おとろへ、淡くおろそかにして、感じ動く所なし。
心おのづから静かなれば、無益(むやく)のわざをなさず。
身を助けて愁へなく、人の煩ひなからん事を思ふ。
老いてその智の若き時にまされる事、若くして貌(かたち)のまされるがごとし。

 

若い時は、血気はうちに余り、心は事物にふれて揺れ動き、そのうえ情欲までもが盛んである。
身を危険にさらして、破滅しがちなことは、砕けやすい大切な珠をものすごいスピードで転がしているのとおなじことだ。
派手できらびやかなものを好んでそれに金を使い、そうかと思えば、それらをうち捨てて後先見ずに世間からドロップアウトしてしまったりする。
ともかくも勇ましい事を好む心ばかり旺盛で、なんだかんだと人と競い争ひ、はたまた人とひきくらべてはわが身を恥じ、あるいは他人をうらやんだりするが、その良しとするところは、日によって変っていく。
恋愛に熱中し、相手のちょっとした情けにもはなはだ感動いたし、その行動は思い切りばかりがよくて、百年生きるはずの身をぞんざいに扱い、若い身を何かに賭けて命を失った人の話なんかがやけカッコよく思えて、自分の身の安全を保とうとか長生きしようなんてことも思わない。
あげくは自分の好きな方面にばかり心ひかれて馬鹿なことをやり、後の世の話の種となったりもする。
というわけで、身を誤つ、なんて事を、若い時はやってしまうものである。

一方、年寄りはといえば、物事に対する気力はおとろえ、何事にも淡白でおおまかになりに、感性は鈍って、おかげで心がゆれ動くところがない。
そんなわけで、心がおのづから静かだから、無益なことはしない。
わが身をいたわる思いが強いので、できれば自分の身に愁いがなく、かつ、人の迷惑にならないようにということを第一に思う。

とはいえ、年寄りの智慧が若い人にまさっているというのは、若い人が年寄りより見た目がいいのと同じく年齢がもたらしたものであって、別にイバってみせるほどのことでもないのである。

 

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若い者の話は、ほとんど皆、自分の若い頃そのままなので、笑いながら読みました。

何も、付け加えることはありません。