不思議だ、霧の中を歩くのは

 

 

      ―  ヘルマン・ヘッセ 「霧の中」 (高橋健二 訳)―

 

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夜明けとともにいつものように私を起こし朝のパトロールに出かけて帰ってきたヤギコの背中がしっとりと湿っていた。
雨なのかと思って外を見たら、びっくりするような濃い霧だった。

あわてて、靴を履いて外に出てみると、なんだか水で薄めた牛乳の中にいるみたいだ。

明るいくせに、まるで視界が効かないそんな道に沈丁花の匂いが流れている。
なんだかさっきまで見ていた夢の中を歩いているようだ。
もっとも、それがどんな夢だったかはちっとも覚えていないのだが、けれども、それがかえって、夢の続きのような気にさせるのだ。

不意に霧の中からぼんやり人影が現れ、消えて行くのだが、私もまたあの人と同じように、顔をなくしていて、だから、こんなにも愉快なのかもしれない。
たぶん、夢の中では、この世での「自我」なんか消えているのだ。

ひょっとしたら、宮沢賢治という人は、山歩きの中で、いつも霧の中にいたから、あんな詩や童話を「もらってきた」のかなあ、なんて考えたりする。
もちろん、霧の中にいても何も感じない人もたくさんいるから、それでは賢治をなにも語ったことにはならないのだけれど。

それにしても、今日はよい日だった。