なにやら近くで声が聞こえる。

「すごいね、ここ」
女の声である。
「うん。イヅモもすごかったけど、ここもすごいよ」
男の声である。

何がすごいのであろうか?
「イヅモ」とは「出雲」のことであろうか?
私は眠っていたのか。
夢をみているのか。

目を開けると青空がある。
場所は、たしかにさっき寝ころんで本を読んでいた古墳公園の下の草はらである。

それはいい。
それはいいのだが、驚いたことに、私が寝ころんでいる足の先から3メートルと離れていないところに、男と女が二人並んで、私と同じ方角に足を伸ばして同じように寝ころんでいる。(つまり私の方に頭を向けて仰向けに!)

私はすっかり面喰ってしまった。
なんとなれば、この場所にあったガスタンクがなくなって以来、私はすくなくとも十年以上はあすこに寝ころんでいるはずだが、私以外の人間がそこに寝ころんでいるのを初めて見たからである。

私が目を覚ましたことに気づかない彼らは、なおも会話を続けるのである。

男 ――ここは縄文の匂いがするよね。
女 ――縄文の匂いって?
男 ――ほら、ここって広葉樹の杜じゃない。これは縄文だよ。
(ちなみに、私たち三人――と、言うべきかどうかはわからないが――ともかく私たちは三人とも古墳公園の杜の方を見ながら寝ころんでいる)
女 ――どういうこと?
男 ――縄文の主食ってドングリだろ。ドングリは広葉樹なんだよ。
(ちなみに言っておくなら、私の知る限りこの杜にドングリをつける樫や椎の樹はない)
女 ――そっか!だから、パワーあるのか。
男 ――しかもこんな住宅街だよ。すごいよ、ここ。

なんだかよくわからないが、ふしぎな人たちである。
私、身を起してたばこに火をつける。
すると、男の方がその気配に気づいてか、寝返りを打つようにして私の方に顔向け(年の頃は三十を過ぎているだろうか)、女の方に
「あの人目を覚ましたよ」
と言ってから私に話しかけてくる。

―― ここって、すごいですよねッ。

そんないきなり!
ずいぶんインティマットなお方である。
三十過ぎているにしては、初対面の相手に対して、寝そべったまま、「こんにちは」もなにもない。
なんだか、仲間と一晩酒を飲んで一緒に泊まった旅館の朝の布団の中の会話みたいである。
なんと返事すべきものか。

―― すごいパワーですよね。

女の方もこちらを向いて追い打ちをかける。

ぱわあ?
「パワー」ってなんや!?
そんなこと言われても、何が「パワー」なのか皆目見当がつかない。
戸惑う私を尻目に男がさらに続ける。

―― 僕たち奈良から来たんです。ここを目指して。
―― えっ、奈良からですか。

やっと、私も声が出る。
なんなんだろう、これは。
「奈良市」と「習志野」・・・「ナラシ」つながりなのであろうか?

―― なんかスゴイ場所だって聞いたから。

ちがうらしい。
全然わからない。
何を言っているのであろうか。
が、とりあえず

―― スゴイかどうかはわからんが、気持ちのいい場所です。

と断言だけはしておく。

―― ですよねえ。なんか、すごいパワー。

女の方もインティマットである。
そしてパワー一本やりである。

―― ところで、そちらはどこからいらしたんですか。

男の方が私に訊ねてくる。
どこからも何もあったものではない。

―― ここに住んでるんです。
―― うらやましいなあ! よほど日頃の行いがいいんですね。

そんなあ!
まあ、別にそんなに悪い行いが自分の日頃にあるとは思わないが、だからと言って、住んでいる場所をその証拠とされたのは初めてである。
ふしぎな方たちである。

そうこうするうちに、女の方が靴をぬぎだす。
中に白足袋をはいている。
和服でもないのに白足袋をはいている人はなかなかいない。
だいたい白足袋なんてものは、私たちの周りでは能をやっている前野宗匠ぐらいしかはいた人はおるまい。
私なんぞ、白足袋どころか、黒足袋も、地下足袋だってはいたことがない。

女はその足袋も脱ぎだす。

―― うわぁ、すごいパワー! 足の裏から直に伝わって来るよ。

裸足で立ち上がって、素足で春の草を踏む気持ちのよさはわかるが、それもこれも彼女にとってはどうやらすべて「パワー」と呼ぶべきものであるらしい。

勧められて、男の方も靴を脱ぎだす。
こっちは、男にしてはずいぶん派手な藤色の靴下。
妙な模様も入っている。
こちらも素足になって立ち上がり、

―― うん、たしかに。

などと言っている。

それから二人、あたりの草はらを歩きまわっていたが、やがて私のそばまで戻って来ると、

―― ヤツルギ神社、って行ったことありますぅ?

と男が訊く。
八劔神社ならここから東へ五、六百メートルほどの所である。
私がうなづくと、

―― あすこもすごいらしいですね。
―― すごいかどうかわからんが、樹はたくさん生えてます。
―― 楽しみだなあ。

そう言って彼らは靴下と足袋をはき、靴を履いて古墳公園の方へ上って行った。

彼らが見えなくなった後、私はふたたびリュックを枕に寝ころんだ。
空は相変わらず雲ひとつなく真っ青である。
彼らが「縄文の匂いがする」と言っていた古墳を囲む照葉樹林は、時折吹く風にあおられて、一斉にその白い葉裏を見せてはキラキラと輝いている。
そして、その木々の上には上弦の昼の月が白くかかっている。

それにしても、彼らはいったい何だったのであろうか。
キツネにつままれる、というのはこういうことを言うのであろうか。

うーん、パワーか。
そう言われてみれば、そんな気もしてくる。
私がここに寝ころぶたび、私の中には世間に流れている時間とはちがう時間が流れることは確かだ。
とすれば、手垢にまみれた世間の時間から自分たちを解放してくれるものを彼らは「すごい」とか「パワー」とか呼んでいるのであろうか。
うーん。

とはいえ、彼らは奈良からまさしくここを「目指して」やってきたのだという。
ひょっとすると、「パワー・スポット」とやら呼ばれているものの愛好者には、この習志野古墳公園下のガスタンク跡地は《隠れた聖地》として喧伝されているのであろうか。
わからん。
わからんが、どこかのサイトにそんなものが載っているのかもしれない。
もしかしたら、そのうち、あの場所がマグロが並ぶ魚市場みたいに人が寝ころび並ぶようになったりするのかしら。
オソロシイことだなあ。

それにしても、私には、彼らがここで手に入れようとしているパワーより、彼らの中にある、奈良からここまでわざわざやって来ようとするパワーの方が、ずっとパワフルであるように思われたのであった。

うーん、ふしぎな一日だったなあ!!