We are foolish and sentimental and melodramatic at twenty-five,
but if we weren’t perhaps we should be less wise at fifty.
25歳のとき、人は、愚かで、感傷的で、大げさなもんです。
でも、もしそうじゃなかったら、おそらく、私たちは50歳になったときに賢くはなれないんでしょうな。
― William Somerset Maugham 「Red」 (サマセット・モーム 「赤毛」)―
60をはるかに過ぎた今の自分が、果たして昔より賢くなったのかどうか、それは一向おぼつかないのだが、それでも、かつて25歳だった頃の私が、今よりはるかに foolish で sentimental で melodramatic であったということだけは認めざるを得ないなあ、と、昨日、昼間から酒を飲みながら、読んでいたMaughamの《Red》の中の言葉に思わず苦笑いをしてしまったことでした。
(どういうわけだか、このごろの私、はなはだ酒量が増えてきてしまいました。
ほとんど毎晩飲んでおります。
ヨワッタモノデス)
ところで、「赤毛」を読み進んでいきますと、中で語られるセリフにこんなのがありました。
You cannot imagine how exquisite she was.
Redと呼ばれる二十歳の若者と恋に落ちる16歳の娘についてスウェーデン人が語るせりふです。
《exquisite》――知らぬ単語である。
というわけで、辞書を引いてみる。
と、「このうえなく美しい」と書いてある。
この語一語だけで「このうえなく美しい」なんて最上級の意味なんですな。
すてきですな。
すばらしい言葉です。
How exquisite you are !
だれか若い娘さんにひそかにこう言ってあげたいですな。
というわけで、本文の方は
「あなたには、その娘がどんなに美しかったか、想像もつかんでしょう」
てな意味になるんでしょうが、日本語ではなく、英語の方でこれを2・3度唱えていると、なんとなく、詩でも読んだようないい気分になってくるのは、それが私みたいな半可通の者にとっての外国語の功徳と言うべきものでしょう。
ほろ酔いの頭には、実に実によろしき肴でございます。
ちなみにその娘は、こんなふうにも語られます。
She was too beautiful to be real.
まあ、これは、いわゆる 《 too ~ to ・・・》の構文というやつですから、「~すぎて・・・できない」とか「・・・するには~すぎる」とか訳すんでしょうが、娘さんをほめるのに英語じゃこんな構文を使っても言えるんですな。
まあ、これは日本語で
「その娘はね、この世にありえるとも思えないほどに美しかったんだ」
ってことになるんでしょうが、同じくは、英語でそのまま読むほうが、ずっとこの世ならぬ美しさが響いてくる気がして来るのも、また、私の英語力の「適度な弱さ」のしからしむることなのでしょう。
しかし、これは実になかなかたのしいですぜ。
というわけで、昨日はたいへん酔払ってしまったことでした。
もちろん、「赤毛」は途中のままです。
ところで、下の写真は、遅ればせながら、せんだっての11月の雪の景色です。
雪に紅葉。
私が宗匠や司氏なら、俳句の一つもひねるところなのですが、我が詩心すでに枯渇して久しく、何一つ言葉が浮かんできませんでした。
これもまた
too beautiful to be real
というものでしょうか。