日本人は寒いところで戦争するように出来てないんだよ。
― 安岡章太郎 「『昭和』はいつも新しかった」―
レイ君は昨夜も半袖であった。
最近は、母親に
「見てるこっちが寒くなるから」
と言われるというので、自転車をこいで塾に来る道中は一応上にコートを羽織ってはくるが、部屋に入ると、さっさとそれをぬぐ。
するとその下は、半袖のTシャツか、胸に名前の入ったこれまた半袖の体操服を一枚着ているだけである。
なんと、あの雪の降った日ですら、そうだったのである。
うーん。
「子どもは風の子」なんて言葉もあるが、それにしても、度が過ぎている。
現に、カイト君もトシキ君もたっぷりシャツを着込み、セーターを着ている。
まあ、それが普通である。
(ちなみに、私は、例によって、部屋の中でもマフラーを首に巻いている)
にもかかわらず、半袖のレイ君、
「これで、ちょうどいい」
とのたまうのである。
はてさて。
「人種がちがう」という言葉がある。
これ、こちらの常識が通じない者に出会ったとき、口にする言葉ですな。
どこか差別用語の匂いもする言葉ですが、しかし、「人種」がちがうと、ほんとうに「人種がちがう」のである。
すくなくとも、人種によって、寒さに対する耐性は、まるでちがうのである。
思えば、彼の兄さんであるところの真君もまた、全然寒がりではないのである。
私がモモヒキなんぞをはきはじめる季節になると、
「先生、気持ちのよい季節になりましたね」
などといって、むき出しの上腕をさすったりしているのである。
カナディアンの血や、おそるべし。
冬になれば、零下20℃が当たり前、というカナダ内陸部に何世代にもわたって暮らしてきた者の子孫に、われら抗するすべもないのである。
というわけで、カナダ人もすごいが、ロシア人もすごいらしい。
今日引用した安岡章太郎は、軍隊に入って満州に連れて行かれた時のことをこんなふうに語っている。
満州――とくに北満というのは、人間の暮らせるところではないと思ったね。
僕が行ったのは四月の初めだけれど、夜中に着いて、連隊まで二時間歩いたら、銃を持つ手先が凍えちゃった。
それで、連隊で小さなリンゴをもらったら、それがシャーベットみたいに凍っている。
温暖なところで生まれた日本人には、とうてい耐えられない気候なんですよ。
そんな中で、日本から来た開拓義勇団の少年兵が、大きな鉄砲を抱えて、地平線の彼方に一人ポツンと立っているのがほんとうにかわいそうだった。
ところが、ソ連の兵士は平気なんだ。
こっちが普通の外套を着ているときでも、連中はそんなものは着ない。
こっちが防寒外套といって、毛皮や綿でもこもこして身動きも出来ないようなのを着ているときに、やっと普通のを着る。
当然戦闘力もちがってきます。
大体、日露戦争というのは満州といっても奉天以南の比較的暖かいほうで戦ったんだから、北でロシアとやるとなったら、これは問題にならないというのが、僕らにもわかった。
日本人は寒いところで戦争するように出来てないんだよ。
まあ、ナポレオンにしても、ヒトラーにしても、ロシアの冬には負けたんですからな、ましてフランスやドイツなんぞよりはるかに温暖な日本に生まれた人間、勝てやしませんや。
日本人は寒いところで、戦争するどころか、生活するようにも出来ていない。
こんなことを書くと、このごろは「非国民」扱いされかねないが、《北方領土》なんて、そもそも日本人が住むような場所じゃないんじゃないかなあ。
あのようなところはロシア人にお任せがよろしいんじゃないですかなあ。
ところで、レイ君の話によると、彼らの父親は、11月に入っても寝る時に扇風機をつけて寝てるんだそうです。
いやはや、これは、ほとんど、宇宙人、です。
さて、話は飛びますが、今朝の新聞によれば、美濃加茂市の市長が三十万円の受託収賄で有罪判決を受けたそうな。
事の真相については、私は知らないが、じゃあ、甘利はどうした、鶴保はどうしたと言いたくなる。
あれこそまさに受託収賄じゃないか。
検察、おかしくないか!