お遍路が一列に行く虹の中
赤とんぼじっとしたまま明日どうする
花びらの出て又入るや鯉の口
乱歩読む窓のガラスに蝸牛
蓋あけたような天で九月かな
この家の主留守らし燕の巣
いつも何か探しているようだナひばり
コスモスひょろりふたおやもういない
少年の草矢少女に向けるかな
等々、<風天>こと渥美清の俳句。(文春文庫 森 英介著「風天 渥美清のうた」より)
この本の中で感服したことがたくさんあったのだが、その一つ。 渥美清は浅草にデビューしたあと、結核となり肺を片方取ってしまったいた。彼曰く、「柿食えば鐘がなるなり」は結核の人の俳句ですよね。大きな鐘の中と肺が空洞になるのと、自分で実感している、と。
この本は図書館の映画関係にありましたので、よかったら探してみてくだされ。
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おたよりありがとうございました。
柿食へば鐘が鳴るなり、が肺病の人の歌だという話、まったく驚きました。
なるほど、そう言われてみればそんな気がしてくる。
わたくし、もし上の句を選句するなら
花びらの出て又入るや鯉の口
を「天」としましょうか。
今日、当地雲のかけらすらない青空。
風強く、まだ乾ききってはいない銀杏の葉が次々と枝を離れて地にふりつもっておりました。
今日のような日をもまた〈風天〉と呼ぶのでしょうか。
すてぱん