蠅を払おうともしない日本人を、誰もが不思議そうに見つめている。

 

 

― 吉田修一 「百家楽餓鬼」 (『犯罪小説集』)―

 

カジノ法案が通るらしい。
そんなもので、社会全体の経済が活性化するなんてことを本気で考えている奴がほんとうにいるとは思えないが、それが国会の過半数を越えているというんだから、まあ国会議員なんてのはロクデナシの集まりなんだろう。

家から15分ほどのところに、「ボートピア習志野」というのがある。
なんでも、全国すべての競艇場の、船券―というのか知らないが、競馬で言えば馬券のようなものを売っているところらしい。
そこにはJR津田沼の駅から無料バスが出ていて、時々私が歩いているかたわらを通り過ぎたりする。
乗っているのはおおむね私のようなおじさんで、みんな浮かない顔をしている。
まあ、考えてみれば、バスの中ではしゃいでいる、なんてのは、修学旅行の生徒ぐらいのもので、ましてバスに乗っているおじさんがみんなニコニコしていたらそれは異常というものだが、それにしても、パッとしないおっさんたちである。
そんなパッとしない人たちが集まる場所を、習志野市は、たぶん固定資産税課か何かが入って来るというので、その設置を認めたのだろうが、その周囲には何もなく、それによって「地域経済」が活性化した、なんてことは起きていない。
カジノにしたって同じことだろう。

博打なんてものは、胴元だけが儲かるようになっているのは、普通に考えればわかることで、胴元は客がふらふら賭場の外に出たら、せっかくのカモを逃がすことになるから、飲食にしたって中で済ませるように工夫するに決まっている。
そこは閉じられた空間であって、そんなものが地域経済を発展させるなんて、寝言もいいところだ。

せんだって、読んだ吉田修一の「犯罪小説集」という本の中に、マカオのカジノで何億という金をスッた、あの大王製紙の社長だか専務だかをモデルにした小説があった。
その短編は「百家楽餓鬼」という題だったから、中国語ではバカラのことを「百家楽」と書くらしい。
「百家楽」とはおめでたい。

今日の引用は、その小説の終り近く、主人公が訪れるアフリカの難民キャンプの場面で出てくる言葉だ。
顔に蠅がたかったままの主人公は難民の少女のスープを奪い取って飲む。

自民党や維新の会などの議員というのは、顔にたかるハエを払わぬどころか、汚物を塗りたくって自分のいる場所にハエを呼び寄せようとしている馬鹿等としか思えない。

彼らの言う《美しい日本》とは何のことなだろう。