天つ風 雲のかよひ路(ぢ) 吹きとぢよ
をとめの姿 しばしとどめむ
僧正遍昭
僧正遍昭(そうじょう・へんじょう)。
「僧正」というのは、お坊さんの中で一番高い位です。
徒然草に出てくる、怒りん坊の「榎の僧正」も身分の高いお坊さんだったんですよ。
それはさておき、この歌は、古今集には良峯宗貞(よしむねのむねさだ)という名前で出ています。
これが、彼が、出家してお坊さんになる前の名前です。
なんでも、桓武天皇の孫に当たる人だそうです。
「天つ風」の「つ」は「…の」という意味の古い格助詞です。
たとえば、君が一年生の時に習った「筒井筒」(伊勢物語)に出てきた
風吹けば 沖つしら浪 たつた山 よはにや君が ひとりこゆらむ
という歌の「沖つしら浪」は「沖の白波」という意味でしたね。
ですから「天つ風」は「天の風」あるいは「大空の風」です。
ついでに言っておけば、「わだつみ」という言葉がありますが、これは「海の神」ということです。
「わだ」は「わたの原」の「わた」が濁ったもので《海》を、そして「み」は《神》とか《霊》を表します。
現代語にも残っているこの「つ」は、「まつげ」の「つ」でしょうか。
「まつげ」は「目(ま)つ毛」ですね。
「雲のかよひ路 吹きとぢよ」。
前の歌で、篁は「あまの釣舟」を擬人化して、「人には告げよ」と呼びかけていましたが、この歌では「空の風」を擬人化して、「雲の間の通路を吹き閉じてくれ」と言っています。
なんで、そんなことを言うかというと、「をとめの姿 しばしとどめむ」と思うからです。
つまり「うつくしい少女たちの姿を、あとしばらくここにとどめておきたい」から、というのですね。
お坊さんのくせに不謹慎な、と思ってはいけません。
はじめに書いたように、この歌は、まだ彼が出家する前、朝廷で蔵人頭(くらうどのとう)と呼ばれる、今で言ったら官房長官、みたいな役職についていた頃の歌なんです。
で、その古今集の詞書には、 〈五節(ごせち)の舞姫を見てよめる〉 と書いてあります。
「五節の舞」というのは、新嘗祭(にひなめさい)という、十一月、宮中で、その年新しく収穫した穀物を神々にお供えする儀式のときに(今は「勤労感謝の日」になっている日ですよ)奉納された舞で、公卿や国司の家から選ばれた美しい少女たちがそれを舞いました。
僧正遍昭=良峯宗貞はその少女たちを、天から舞いおりた天女に見立てこの歌を歌っているわけです。
だから、彼女たちが天に帰らないように「雲のかよひ路 吹きとぢよ」と言っているわけです。
大げさな、と言ってはいけません。
たとえば、クラシックの演奏会では客が拍手をして、アンコールを求めるでしょ。
あるいは、オペラや演劇では、演技が終わった後、客が拍手喝采して、出演者たちを幕の前に呼び出すカーテンコールというのがある。
あれは、もう一度、見たーい、聞きたーいという意思表示です。
でも「五節の舞」は神に奉納する舞だから、アンコールはない。
カーテンコールもしてはいけない。(たぶん)。
でも、もう一度見たい。
というわけで、これは、「和歌によるカーテンコール」なんです、きっと。