筑波嶺(つくばね)の みねより落つる みなの川

 

       こひぞつもりて 淵(ふち)となりぬる

 

 

            陽成院

 

 

陽成院(ようぜい・いん)。
「院」というのは、天皇をやめた人のことです。
ですから百人一首で「○○天皇」とあれば、天皇のまま亡くなられた方だし、「○○院」とあれば、亡くなられた時、天皇の位を下りていた方です。
ですから、今の天皇の退位が認められれば、あの方は「平成院」と呼ばれることになります、きっと。

 

さて、この陽成院、九歳で即位し、十七歳で退位させられている。
ですから「陽成天皇」ではなくて「陽成院」。
なんと、八十二歳まで生きました。
この人が、天皇の位を退位「させられ」と書いたのは、時の権力者、彼の伯父、関白・藤原基経に反抗したので、天皇をやめさせられたからです。
表向きは、「とんでもなく乱行はなはだしい天皇だったから」、ということになっています。
ところで、あなたは、まだ日本史は習っていませんが、藤原基経という名前はどこかで聞いたはずです。(覚えてないでしょうが)。
それは、古文の教科書の下の注釈部分に出ていた。
それというのも、基経は、あなたが大好きな「伊勢物語」の「白玉か何ぞ」の歌が出てくる章段(第六段)や、こないだ試験範囲になっていた「月やあらぬ」の歌が出てくる章段(第四段)のヒロイン・藤原高子のお兄さんだからです。
その人が伯父さんだということは、この陽成院という方は、あの業平さんと両想いだった高子さんの子どもなんです。

 

相思相愛の二人を別れさせ、九歳も年下の天皇と結婚させるなんて、とんでもない兄貴だ、と思うでしょうが、このあたりの時代の、基経をはじめ、藤原氏が、自分たちが政治の実権を握るために操った権謀術数のありさまは、来年、日本史の授業で、よく聞いておきなさいませ。
非常にinteresting なはずです。

 

さて、その陽成院の歌、見ていきましょう。

 

「筑波嶺」は茨城県にある筑波山のことです。
串田君が目指している大学は、たぶんこの山のふもとにあるんでしょう。

 

ところで、この筑波山は、古代「歌垣」が行われる場所として有名でした。

「歌垣」というのはですね、春と秋の二回、若い男女が大勢集まって、お互い歌を詠みかわしたり、踊ったりして盛り上がるイベントです。
で、中でお互いが気にいったカップルができると、その二人は、どこか、いいところへ消えていく。

 

とまあ、そんな場所が筑波山。
そこから川が流れ出ている。
名前が「みなの川」。
これを、漢字で書くと「男女川」です。
なかなか意味深い名前。
(ちなみに、筑波山には二つ峰があって、一つが「男体山」、もう一つが「女体山」です。)

さて、「淵」というのは、川の水がよどんで深くなった場所です。
対語は「瀬」ですね。川の水の浅いところです。

というわけで、歌の方はというと、

 

筑波の峰から、はじめは細々と落ちてきた水が、やがて男女川という川になって流れ、いつしか、そこに深い淵を作っています。

私のひそかなあなたへの恋の思いも、積もりに積もって、今は、その川の淵のように、深く、深くなってしまいました・・・。

 

てな感じの意味になるでしょうか。

 

 

流れ来た おとこおんなの この川に

 

                      恋がつもって こんなに深い