ひさかたの 光のどけき 春の日に
しづ心なく 花の散るらむ
紀友則
紀友則(きのとものり)。
古今集撰者の一人。 紀貫之の従兄にあたります。
貫之とは年が離れていたらしく、古今集を醍醐天皇に奏覧する際には亡くなってしまっていたそうです。
歌を見ていきましょう。
「ひさかたの」。
枕詞です。
「天(あめ)・(あま)」「雨」「空」「雲」「光」などにかかる。
ときどき音の感じから「ひさしぶりに」という意味にとる人がいるけれど、枕詞には全く意味がないので、君はけっしてそんなふうに取らないこと!
さて、枕詞には意味がない、といいましたが、この歌がこの言葉から始まってるのは、実によろしいですなあ。
ひさかたの~ ひかりのどけき はるの ひに~
どうです?
各句の頭に並ぶ「ハ」行の音の響きが心地よいでしょ。
晴れやかで、朗々としている。
かといって、浮つかないのは、その各句に「の」の音が配されているせいでしょうか。
この三句の落ちついた明るさ、いいですなあ。
というわけで、単なる「ひかりのどけき」に「ひさかたの」という枕詞がつくことで、うらうらとあたたかな春の日の暢びやかさが、なにやら、俄然、倍加されている気になってきます。
そんな、「ひさかたの」付きの、のどかな春の日なのに、一つだけちがうものがある。
桜の花です。
だから言いたくなる
「どうして」
しづごころなく 花の散るらむ
なのかと。
「らむ」は何度も出てきましたから、もう大丈夫ですね。
疑問詞はありませんが、この場合は「なぜ・・・なのだろうか」ですね。
こんなにも穏やかな、光さえのどかな春の日。
なのに、どうして、花は、静かな心もなく 絶え間なく散っていくのであろうか
いい歌ですなあ。
新年の皇居の歌会始の時に歌われる、あの古式にのっとった節回しで聞きたい歌です。
こんなよい歌を、何が悲しくて、私の下手くそな歌に変えなければならないのか、とも思いますが、まあ、そういうことになってしまっているみたいなので・・・。