山川に 風のかけたる しがらみは

 

   流れもあへぬ 紅葉なりけり

 

 

      春道列樹

 

 

春道列樹(はるみちのつらき)。
春の道で、何がつらかったんだろう、というような名前ですが、この人、壱岐の守になったけれど、赴任前に亡くなった人だそうです。
あんまり、伝記はわかっていないらしい。

 

歌を見ていきましょう。

 

「山川」は「ヤマガワ」と濁ります。
山の中にある川のことです。
これを「ヤマカワ」と濁らずによむと、「山と川」という意味になってしまう。

 

「しがらみ」は、川の中に杭を打って、そこに竹やら柴やらを横にからませ、水をせきとめるものです。
要は、木製の小さなダムと思えばいい。
ですから、そこにはいろんなものが引っかかります。
もちろん、これは、電気を起こすためにかけたものではなく、田畑に川から水を引き込むために作ったのです。
ですから、人里離れた「山川」に、本来「しがらみ」は作られない。
そして、日本にはビーバーはいませんから、川に「しがらみ」を掛けるのは人間だけです。

 

あとわかりにくいのは「あへぬ」でしょうか。
「あへぬ」は「敢へぬ」と書きます。
下二段活用「敢ふ」の未然形に打ち消しの助動詞「ず」の連体形ですね。
この「あへず」は、前に菅原道真の「幣もとりあへず」で出てきましたね。

動詞の下に来ると、補助動詞として《cannot》という意味を表すのでした。

ですから「流れもあへぬ」は「流れようにも流れられない」ということになりますね。
 

歌全体の意味をみていくと、ざっとこんな感じでしょうか。

 

人里離れた山道をゆくと、目の下に、きれいな谷川が流れている。
おや? あんなところに、しがらみがあるのかしら、きれいな紅葉が流れきれずにとどまっているところがあるぞ。
そうか、そうか。
あれは、この山川に、人ではなく、風が、流れきれぬほどの紅葉を散らして作ったしがらみなのだな!

 

ふふふ、って、山道を歩いている列樹さんは思ったに違いない。
とってもいい発見をしたぞって。
でも、歌の方は先に「山川に 風のかけたる しがらみは」と、彼が発見した面白い答えの方を言ってしまっているので、なんとなく感興が薄くなるような気がしますね。
とはいえ、こういう「なぞなぞ」めいたのが古今集にはわりと多くて、こういう言い回しが、あの時代の流行だったのかもしれません。」。

山川に 流れきれない もみじ葉は

 

            風がつくった しがらみなんだね