逢ひ見ての 後の心に くらぶれば
昔は物を 思はざりけり
中納言敦忠
中納言敦忠(ちゅうなごん・あつただ)。
左大臣藤原時平の息子です。
今昔物語には、この人のこと
かたち・有様、美麗になむありける。人柄もよかりければ、
とあるから、ハンサムで、センスもよく、家柄、人柄もいい、という、まあ、たいそうすてきな貴公子だったわけですが、三十八歳で亡くなった。
そうやって早死にしたのは、父時平が左遷して大宰府で死んだ、あの菅原道真(「まにまに」の歌のひと)の怨霊のせいだと噂された。
なんだか、かわいそう。
さて、歌。
「逢ひ見る」は、男女が関係を結ぶことです。
それさえわかってしまえば、あとは何一つむずかしいことはない。
あなたと共に過ごすことができた夜までの、悩み、苦しさ、つらさ。
あの頃、あなたを恋しく思う今の自分の思いほどに 真剣で深い恋心なんてがこの世にあるものかと思っていた・・・
けれど、どうしたことだろう、
あなたと一夜を共にした今、あなたのことを思うこの思いは!
今のこの深い物思いに比べれば、
それまでの恋心なんて、恋のうちにも入らないものだったんだ。
愛する女とはじめての契りを結んだのちの男の激情を一気に詠みくだしたような恋の歌ですな。
若々しい、というか、ういういしいというか。
なんだか、「ロミオとジュリエット」の朝の場面みたいだ。
「物思ひ」というのは「思い悩む」ということなんだけど、ここでの「物思ひ」はそう言いながら、むしろ逆説的に、あなたへの恋心がつのったと言っているのだ、ととりたいですな、私は。
彼から400年ぐらいあとに、兼好法師が
男女(おとこおんな)の情けも、ひとへに逢ひ見るをば、いふものかは。
(男と女の仲もただただ、逢って契りを交わすことだけをいうものだろうか!)
なんて、澄まして言っておりますが、まあ、そんなもの、じいさまのたわごとですな。
若い男女が「逢ひ見て」はじめてわかる思い、というものもあるに決まっている。