逢ふことの たえてしなくば なかなかに
人をも身をも 恨みざらまし
中納言朝忠
中納言朝忠(ちゅうなごん・あさただ)。
この人、「大和物語」の中では、あの右近さんに「死ななきゃいいけど」(人の命の惜しくもあるかな)の歌をおくられた男であるかのように書かれている。
すくなくとも彼女とは恋愛関係にあった人だとは書いてある。
この人五十六歳まで生きたから、その恋愛では死ななかったらしい。
さて、歌。
「逢ふことの たえてしなくば」
「たえてしなくば」の「たえて」は「絶えて」。
「たえて+打ち消し」で「ちっとも…ない」「まったく…ない」「いっこうに…ない」。
「し」は強意の副助詞ですから、
「あなたと一緒に寝るなんてことがまったくもってなかったならば」
「なかなかに」・・・「かえって」「むしろ」。
「人をも身をも」…「相手のことも、自分のことも」
「恨みざらまし」。
「まし」は反実仮想の助動詞
でしたね。
反実仮想というのは、文字通り、事実と反することを仮に想定するんです。
英語でいうところの「仮定法過去」とか「仮定法過去完了」みたいなもんですな。
意味は
もし…だったら~だったろうに。
というわけで、歌全体の意味は、
もし、あなたと一夜を過ごすこともなかったならば、かえって、あなたに冷たくされたからといって、こんなにもそのつれなさを恨んだり、あるいはこんなにつらい自分の物思いを恨んだりすることもなかったろうに・・・。
前の敦忠さんも、この朝忠さんも、同じ中納言で、お互い女の人と「逢ひ見」た後の「物思ひ」のつらさを歌っている。
でも、前の敦忠さんは、「物思ひ」と言いながら、逆説的に相手と「逢ひ見」たことを肯定的に歌っているのに対し、こちらの朝忠さんの方は、「寝なきゃよかった」と言っているみたいです。
もちろん、そう歌って、
「だから僕につれなくしないで」
と相手に訴えているんですがね。
小学校や中学校の頃の初恋の相手となら、成人式の日に
「久しぶりぃ。元気だったぁ」
なんて、軽く挨拶できるのに、なまじその人と「逢ひ見」ちゃったりしてたら、いろんな思いがからまりあってそんなふうに軽くは挨拶できない・・・とかあるのかしら。
そんなこともないか。
よくはわからんけれど。
まあ、いずれにしても、人というものに、心だけではなく肉体があるせいで、男女の仲は実になかなか複雑なものになるぞ、ということでしょうか。