やすらはで 寝なましものを さ夜更けて
かたぶくまでの 月を見しかな
赤染衛門
赤染衛門(あかぞめゑもん)。
赤染時用(ときもち)という人の娘だそうだが、なんで「衛門」なのかはわからない。
もちろん「ドラえもん」とは関係がない。
この人も、中宮彰子に仕えた女房。
紫式部はこの人の歌を高く評価している。
さて、詞書に曰く、
中関白殿少将に侍りける時、はらからなる人に物いひわたり侍りけり。
頼めて来ざりけるつとめて、女にかはりてよめる
「中関白」は藤原道隆。
あの
「わすれじの 行末までは かたければ」
の儀同三司母の夫でしたね。
その道隆がまだ蔵人少将だったとき、
「はらから」=同じ母親から生まれた兄弟姉妹
つまり赤染衛門の姉だか妹だかのところに通っていた。
そんなあるとき、道隆が
「頼めて」つまり「あてにさせておいて」あるいは「約束をしておいて」、
「来ざりける」・・・「やって来なかった」、
「つとめて」は「翌朝」、
衛門が彼の相手だった姉だか妹だかに代わって作った歌、というわけです。
歌を見ていきます。
「やすらはで」。
「やすらふ」は「ためらう・躊躇する」。
ですから、「ためらわずに」
「寝なまし」
これは品詞分解できますか?
「寝る」連用形+完了の助動詞「ぬ」の未然形+反実仮想の助動詞「まし」連体形
です。
意味は
「寝てしまえばよかったのに」。
反実仮想ですから、実際には寝ないでいたわけです。
そして、
「かたぶくまでの 月を見しかな」。
「西の空に落ち傾いていく月を見てしまったことだ」。
あなたが約束をお守りにならないとわかっていましたなら、
はじめっから、ためらわずに寝てしまえばよかったのです。
それなのに、
いつの間にか夜が更けて
きっとあなたは来るはずと信じていた私は、
人の気持ちも知らぬ気に照る月が
西の空にかたぶくまで眺め明かしてしまいました
あなたをずっとお持ちしながら・・・。
しおらしいですな。
道綱母のように
「いかに久しき ものとかは知る」
と相手を声高に非難するのでもない。
かといって和泉式部のように
「今ひとたびの 逢ふこともがな」
と恋の激情を相手に訴えかけるのでもない。
ただ淡々と
「かたぶくまでの 月を見しかな」
です。
月を眺めながら、まんじりともせず、ひたすら男の訪れを待つ女のいじらしさをしおらしくうたって見せる、これが赤染衛門の歌ですな。
ためらわず 寝ればよかった 月だけを
眺める夜と 知っていたなら