有馬山 猪名(ゐな)のささ原 風吹けば
いでそよ人を 忘れやはする
大弐三位
大弐三位(だいにのさんみ)。
この人は紫式部の娘さん。
本名は藤原賢子(けんし)。
お父さんは物ごころもつかぬころに亡くなったそうですが、お母さんも賢かったのだから、たぶんは名前通りの女の人だったんでしょう。
この人も中宮彰子に仕え、この人の旦那さんが正三位太宰大弐だったので、こんな名で呼ばれた。
さて、歌。
詞書に曰く、
かれがれなる男の、おぼつかなくなどいひたりけるによめる
ここに出てくる「かれがれ」、意味わかりますよね。
「人目も草もかれぬと思へば」の歌で出てきた。
「かれ」は「離れ」でしたね。
というわけで「かれがれなる男」は「離れ離れなる男」、つまり彼女のところに通ってくるのが間遠になった男、ということです。
その男が「おぼつかなく」、
つまり「あなたのお気持がはっきりつかめなくて」
あるいは「あなたの気持があてにならなくて」と、
自分のことは棚に上げて言ってよこしたので、それに対して詠んだ歌です。
「有馬山」。 地名です。
神戸市にある山。
「猪名のささ原」も地名。
兵庫県と大阪府の間またがる有馬山のふもとの地域らしい。
この場合「猪名」は「否(いな)」にも、掛っているんでしょうか。
そんなささ原に「風吹けば」(風が吹くと)、そよそよと音を立てる・・・・。
というわけで、ここまで上三句が「そよ」に掛る序詞です。
「いで」は誘いや決意を言う時に使う「さあ」です。
あるいは否定し反発する気持ちを表す「いやいや」「いいえ」。
ここでは、後者ですかな。
「そよ」。
「そ」は代名詞で「それ」、「よ」は間投助詞。
とういわけで「そよ」は「それですよ」。
「忘れやはする」。
反語ですな。
「忘れるだろうか、いや忘れない!」。
有馬山 猪名のささ原
あんり、まあ、どなたが「否」とささやくの?
風が吹けば そのささ原は風にそよぎ
そよぐささたちは、みな、そうよ、そうよ、と風に頷いているわ。
そうよ、私だって
どうしてあなたを忘れたりするものですか!
あなたからの風が吹いて来さえすれば
いつだって「いいわ」と頷いてしまうにきまっているんですもの
まあ、この訳の二行目は、なんとなく、こんな意味も含まれているんじゃないかと、書いてみただけですが、ちょっとダジャレが過ぎましたなあ。
でも、全体の意味はこんなものです。
この歌、「ささ原」と二回続くs音に「いでそよ」というs音が応える響きが私、好きなんですけど、どんなもんでしょう。
草はらに、ほんとに風が吹いているみたい。
ありえない 「否」とささやく 風なんて
あなたを忘れる 私じゃないわ