めぐりあひて 見しやそれとも分かぬまに

   雲がくれにし 夜半(よは)の月かな

                紫式部

 

紫式部(むらさきしきぶ)。
言うまでもなく『源氏物語』の作者です。

 

この歌、新古今集の詞書に曰く、

 

早くよりわらは友だちに侍りける人の、年ごろ経て行きあひたる、ほのかにて、七月十日ごろ、月にきほひて帰り侍りければ

(昔からの幼なじみの友だちに久しぶりに会うことができたのに、ほんのちょっとの間だけで、七月十日、月と競うように(十日の月は夜半に沈んでしまう)、早々と帰りましたので)

 

これ、だから、恋の歌ではなく、友だちに対する歌です。
先の和泉式部は「恋多き女」でしたが、紫式部は言うなれば「恋少なき女」でした。
堅い人です。
そんな彼女に言わせれば、

 

和泉はけしからぬかたこそあれ。

 

「和泉式部には、感心できないところがある」 ということになるのも、むべなるかな、です。

 

歌はむずかしくない。

ちょっとひっかかるのは

「見しや」。
これは
「見たのでしょうか」
ですな。

「それとも分かぬまに」。
これは
「それとも見分けもつかない間に」。

というわけで、一般には、昔の友達が、その面ざしも見分けがつかないほど早く行ってしまった、ということになってる。

でもどうなんでしょう?
それって、誇張が過ぎないかしら?
実はこの歌、ほんとは、幼なじみの女同士が、「見しや」(会うとすぐに)積もる話に花が咲いて、「それとも分かぬまに」時間がたってしまって、相手の人が
「あら、まあ、もうこんな時間だわ!」
とか言って帰って行った、という解釈は成り立たないのかしら。
いっぱい話したけれど、でもどこか話し足りないようなその気分が作者にあって、それが、なにやら十日過ぎの月の入りかたと重なったんじゃないかなあ。

でも、もちろん、これは、全然公式の解釈じゃないんだけどね。

じゃあ、一般的な解釈をベースに訳を書いてみましょう。

 

何年振りかでめぐりあって、
ああ、
たしかに、この面影は○○ちゃん・・・。
でも、彼女ゆっくりできなくて


まだ話し足りない
私をおいて
ただでさえ早く沈む十日の月が、その前に雲に隠れてしまったみたいに
一瞬私の顔を明るくさせて
すぐに別れてしまわねばならなかった、あの幼な友だちよ。

 

あと10年ぐらいたって、街なかで偶然、だれか高校時代の親友に出会って、お互いゆっくりはできず、立ち話だけで別れなければならなかったりした時、あなたも、ふとこの歌を思い出すかもしれませんね。

 

めぐりあって すぐに別れた あの人よ

 

                 雲に隠れた あの月に似て