日輪高き 野田の丘

浮かべる雲を 仰ぎつつ

青空指して 健やかに

花 悠揚と 咲き誇る

ああ 向日葵の その教え

― 野田中学校校歌 ―

 

私が若かったころ、三日遅れの便りを乗せてやってくるのは、都はるみの歌の中の、伊豆の大島、波浮の港にやってくる連絡船と決まっていたものであった。
しかし、人間、齢六十を過ぎると、ふだん何一つ運動らしきものをしない身に、三日遅れでやって来るものがある。
曰く、筋肉痛。

とはいえ、金沢の駅にたどりつくや、司氏の車で、宴会の席に運ばれた翌朝、5時から庭の草刈りに4時間精を出したくらいなら、こんなふうにならなかったのかもしれない。
午後からのヘボ本因坊戦で、水割りを飲み過ぎたあげく司氏に白番を奪われても、すっかり草のなくなった庭を見ながら私はずいぶん上機嫌であった。

しかるに、その翌朝、目が覚めると金沢のラジオは台風の接近と、日中は35℃を超える真夏日になるであろうことを告げていた。
テレビが映らないので、台風の進路やらスピードやらの視覚情報は何もないのだが
「おっと、早めに墓参りに行かねば!」
私がそう思ったのは当然である。
こういうとき、ふだんは、司氏のタクシーに乗って、野田山のてっぺんに運んでもらうのであるが、どう考えても、司氏はまだ勤務についておられる時間ではない。
なおかつ、私の身体は前日の草刈りというひさびさの運動で活性を付与されている。
そこに筋肉痛のカケラもない。
なんだか行けそう。
私、リュックに、ろうそく、線香に加え、軍手・鎌・タオルと入れて、山に向かったのである。
時計は6時半を回っていた。

途中、母校である野田中を過ぎ、二水高校を過ぎ、長坂の大乗寺山のふもとまでのわりと平坦な道は、何の支障もない。
だが、そこからの道、キツイのである。
思えば、この道、その先にある忠霊塔まで、中学の時も高校の時も部活の練習で《走って》登っていたのである。
まあ、今から思えば正気の沙汰とは思えない。
六十を過ぎた身には、ただ歩いて登ってさえ100メートルも行かぬうちにすでに息が上がってしまっている。
途中、松の木蔭のどこぞの家のお墓の横に、石でできた腰かけがしつらえてあるのをさいわいに、一応墓に向かって断わりを入れて休ませてもらう。
つめたいお茶をがぼがぼ飲んでも、なかなか息はもどらない。
うーん、道は遠いのである。

それでも、意を決してふたたびの下りはじめたのだが、実はこの道、最後に難関が待っている。
ただでさえ、相当の斜度を持っておる道が、最後の5,60メートルぐらいになると、ほとんど、冬季オリンピック大滑降の斜面もかくや、と思われるほどにその斜度を上げるのである。

自慢ではないが、わたくし、「有酸素運動」なんてものとは縁を切って十年以上になる。
あんなものは「年齢同一性障害」のバカなじいさん連がやるものであると思って平然としていた。
しかるに、その道を行く私は、ゼイゼイ・ハァハァ。
気息奄奄の、まさに、「有酸素運動 itself」になってしまっていた。
イヤハヤ。

そうやってたどりついたわが家の墓は、昭和の終りに開かれた墓地の常として、ただただ墓が並ぶばかりで、木陰なぞ何処にもない。
まだ午前八時だというのに、そこは、はやくもわが母校の校歌のごとく、《日輪高き 野田の丘》なのである。
そして、わが墓はと見れば、7月のお盆に向けて管理者が草を刈ってくれたのであろうに、すでに夏草の跋扈、おそるべきものがある。
中には、なんとオニアザミまで花を咲かせている。
司氏の言によれば
「夏草がつわものやったわいや」
なのである。

とはいえ、頭にタオルを巻き、小一時間墓の草むしりをするのは、日ごろの無沙汰をわびるにはなかなかよろしき時間である。
漫然とただ墓に手を合わせているより、そんな作業をしつつの方が、心は絶え間なく父母や兄に向ってことばをかけている。

しかしながら、草むしりを終えて口にしたペットボトルのお茶は日をあびて、ぬるい、を超えてすでに熱いお茶に変わっていたのであった。
そう言えば、野田中の応援歌には「炎熱の天」なんてのもあったなあ!・・・などとしばし懐旧の情に身をまかせ、いい気分で山を下りてきた。

炎熱の天
日輪仰ぎ
汗にまみれて 鍛えし腕(かいな)

である。
私、なかなか元気である。

ところが家に着いて、ラジオをつければ、台風は石川に向かっているという。
その日、午後からは邑井氏の来訪を待ち、夜は前野氏とふたたびの飲酒のはずだったのだが、台風に巻き込まれて、帰れなくなったらどうしよう、といつになく不安になり、早々に帰ることにしたのですが、金沢のみなさん、まるで台風のように勝手に訪れ、勝手に帰ってほんとに申し訳ない。

こちらに帰りついて一時間もせぬに、突然盛大に雨が降ってきたので、やっぱり早く帰って来て正解かと我が判断の正しさをめで、なおかつ猫の方もジュリ君の世話のよろしきを得て、なかなか元気。
まずは一安心と、風呂に入り、さっさと寝たのですが、目が覚めてみれば、なんですか、この筋肉の痛みは!
足も腰も腕も首も、パンパカパンのパンに張っておりまして、ほうほうの体で台風から逃げ出した私、今や、腰を伸ばすさえままならぬ、文字通りの這う這うの体。
イヤハヤのハヤでございます。

ところで、ふだんから部屋に鍵をかける習慣を持たぬ私、はたして、寺町の家に鍵をかけてきたのかどうか、はなはだ覚束なく、筋肉痛ばかりではなく認知症すらすでに来るべき所まで来たかと、司氏に確認をお願いした次第でしたが、無事施錠されていたよし報告をいただきました。

何から何までご迷惑だらけの帰省、ほんとうに失礼いたしました。