言葉にならないで怺えていたものたちが
一日の仕事を終えるころには
淡いえんじ色の嘆息となって私をつつみ
無数の羽虫のように飛びかっている
― 中村稔 「羽虫の飛ぶ風景」―
今日は今年二度目の羽蟻の日だった。
毎年、夏の終り、雨上がりのむし暑い夕方、羽蟻たちが無数に飛び立ってくる日がある。
それは、蟻の種類によってちがっていて、だから、一夏に三度くらいそんな夕暮れがある。
今日のそれはごくごく小さな羽蟻たちだった。
彼らの命は一晩も持たない。
わたしの部屋の明かりに群がっていた羽蟻たちも、夜更けに近い今は、もうおおかた床に落ちてあるいてみたり、あるいは中の4・5匹はこのパソコンの画面の上にじっとしていたりする。
彼らはただ生殖のためだけに生れて来るのだが、そのほとんどは目的も果たさず死んでいく。
それを、むなしい、と思う気持ちは私にはない。
ただ、中村稔の詩など思い出して、自分の言葉と羽蟻たちを重ね合わせてみたりしてみるのだが、それを突き詰める気力は今の私にはない。