「ファシストとは」
と狂気の聖職者は云った。
「労働者、学生、そして市民たちに
銃口を擬する者」

 

― 飯島耕一 「一九五六年十月十一月」 ―

 

4月からジュリを相手ににやってきた日本史の講義も、いよいよ戦後に入った。
今日は敗戦直後の国の経済の話だった。

ところで、私が新聞を配っていた地域に、「引揚者住宅」と呼ばれている建物があった。
それは、かつて、旧陸軍の木造の兵舎をそのまま転用したものだと言われていた。
他の鉄筋コンクリートの団地群の中で、一列に並ぶ三階建のそれらの建物の内部は、脂がしみついたように黒く、新聞を配りに中に入ると、いつも饐えたぬか漬けのような臭いが鼻を衝いた。
すでに戦後20年がたっていたが、そこだけは敗戦直後のまま時間が止まっているようだった。

今日は開いていた教科書に「復員」や「引揚げ」という言葉が出て来たので、そんな話をした。

そして、今朝の新聞に載っていた、麻生太郎副総理が朝鮮半島からやってくるかもしれない難民のことに関して

「武装難民かもしれない。警察で対応するのか。自衛隊防衛出動か。射殺ですか。真剣に考えなければならない」

と言ったと報じている記事を読ませた。

70余年前、多くの日本人もまた〈難民〉であった。

高校の教科書に出ている資料によれば、当時、「復員兵」、「引揚者」と呼ばれた日本人〈難民〉の数は、合わせて6,296,685人であったと厚生労働省が発表しているそうである。