あすは檜(ひ)の木とかや。谷の老い木のいへる事あり。きのふは夢と過ぎて、明日はいまだ来らず。ただ生前一樽(いっそん)の楽しみの外に「明日はあすは」といひ暮らして、終(つひ)に賢者のそしりを受けぬ。

さびしさや華のあたりの明日檜(あすならう)      ばせを

 

 

 

― 松尾芭蕉 「笈日記」 ―

 

昨夜、子らが帰った後、酒買いに外に出たらほんによい月。
そうか、今宵は勝田氏と狼騎宗匠はバッハか、と、うらやみつつも、われには酒、と、金沢・福光屋の「加賀纏」の四合瓶、四尾150円の鰯買いこみ、早速に鍋に湯沸かし葱茹でて鰯もろとも酢味噌に和えた「イワシのぬた」を肴に燗徳利傾ければ、酒はうまい肴はうまいで言うことなく、机に拡げた芭蕉集の俳文篇を読んでおると上の文章に出会した。
わたし、何「あすならう」と思って生きてきたわけではなく、むしろ「一樽の楽しみ」大事に暮らしてきたのだが、うま酒飲んで生来の感激症に拍車がかかったか、いたく感じ入ってしまった。

注釈に枕草子にもアスナロに関する記事があるというので、「木は」の章を開いてみたら、以下の如し。

この世近くも見え聞えず、御嶽に詣でて帰る人など、しかもてありくめり。枝さしなどなどの、いと手触れにくげに荒々しけれど、何の心ありて、あすは檜の木とつけけむ、あじきなきかねごとなりや。たれにたのめるにかあらむと思ふに、知らましうをかし。

(自分たちの住んでいる手近なところにも見られないし、話に出ることもないけれど、御嶽に参詣して帰って来た人が、持って帰ってくるみたい。でも。その枝ぶりなんか、とても手でさわれそうもないほど荒っぽいのに、いったいどういうつもりで「あすは檜の木」なんて名前をつけたんだろう。当てにならない約束事だわ。これって、誰に頼りにしているのかしら、それが知りたいと思うとおもしろいわ。)

ところで、翌檜(あすなろ=アテ)石川県の県木ではなかったかしら。