風が立ち、浪が騒ぎ、
無限の前に腕を振る。
その間(かん)、小さな紅(くれなゐ)の花が見えはするが、
それもやがては潰れてしまふ。
風が立ち、浪が騒ぎ、
無限の前に腕を振る。
もう永遠に帰らないことを思って
酷薄な嘆息するのも幾たびであらう・・・・・
― 中原中也 「盲目の秋」―
佐々木幹郎は、あの3月11日のあと、はじめて福島の海岸に立った時、思いもかけず中也のこの詩の冒頭のニ行がありありとよみがえったと、去年、新聞に書いていた。
風が立ち、浪が騒ぎ、
無限の前に腕を振る。
あゝ、そうか、と思った。
そうだったか、と思った。
私の胸に、俊ちゃんと二人、津波に壊された堤防の上に立って、茫然と海を眺めた日のことが映画のシーンのように思い浮んだ。
自分の胸にわく思いを、どうことばにすればいいかわからなくて、ただそれぞれにあたりを歩き、立ち止まり、足もとを見つめ、また遠くを見やっていた自分たち・・・・・。
夏なのに、海には淡い霧が流れていた。
風が立ち、浪が騒ぎ、
・・・・・
その記事を読んですぐ、佐々木の「中原中也 沈黙の音楽」(岩波新書)を買ってきて読んだ。
佐々木氏には、以前にも「中原中也」という評論があり、私は、いまさら新しい中也論でもあるまい、と読まずにいたのだが。
読めば、やはりおもしろかった。
佐々木氏は、そのあとがきに、この詩の一部を引用しながら、こう書いていた。
自然という無限の力の前で、腕を振ることしかできないのは、まことに滑稽なことなのだが、その滑稽を生きるということ。中原中也の詩の言葉は、3・11以後、強烈なバネのようにわたしを掬い取った。大震災の日本の被災地に置くことができる唯一の言葉として、この詩句はわたしのなかで新しい生命を生んだようだった。
わたしはどう生きるか、これから、という切実な、未来に対する畏怖の思いを抜きにして、言葉は力を持たない。東北の被災地の海岸で、目の前に「風が立ち、浪が騒」ぐ荒涼たる風景を見ながら、中也は何と普遍的な詩の世界に立ち向かっていたのか、わたしは改めて思ったのだった。
今日は3月11日。
あれから7年がたった。
日本人は、あの時、みなことばを失い、ただ茫然と事態を見つめ立ちつくしていた。
それは、ことばという媒介を抜きに、心が世界と直に向き合うということだった。
けれども、わたしたちは、その「ことばを失った人間の心の誠実」に堪えられなかった。
「絆」ということばを見つけた人びとは、それにすがり、あらゆる場面でそれを言いたて、それにただうなずき合ってみせることで、あの日の「ことばの沈黙」を忘れてしまった。
それは心を失うことではなかったか。
そうやって、この5年、その場限りのウソをつきつづける首相への支持率がいまだに5割近くある愚劣な社会に日本は成りおおせている。
わたしたちにとって3月11日という日は、、ただ、子どものように、目の前にくり広げられる光景をことばをなくしてみつめていた、あの日の心を取り戻す日としてある。
それよりほかに「悼む」ということばの意味がどこにあろうか。