陽気でおいで、ふさぎこむな、悧巧ぶるな。もすこしお金を費うように努力おし。
ご機嫌よう、繰り返して云う、陽気でおいで。

 

― チェーホフ 「妻への手紙」 (湯浅芳子 訳)―

 

 

気がつかなかったが、私は《鬱》なのだ。
今朝の新聞を読んでわかった。
病気なのだ。
昨日の朝それがわかった。

新聞に歴史学者の與那覇潤氏がこんなふうに語っていた。

一般的にうつの主症状とされるのは「意欲の低下」ですが、むしろ思考力や読解力などの「能力の低下」が大きく出ます。

うーん、これは私のことではないか!

とはいえ、歴史学者がなんで精神科の病気の症状について語っているのかといえば、自身がその病を得ていたからだ。
「中国化する日本」という本を書いて注目の若手論客とされていた與那覇氏は、その後この病を得て二年間休職、そしてついには昨年大学の准教授の職を辞していたのだという。

で、その発病の原因は医学的にも特定できないとしながら、與那覇氏はこう言っている。

うつになる直前までいた大学でも論壇でも、「言葉」がかろんじられていく雰囲気を感じていました。
大学の教授会でも、意見の対立が生じたとき、相手に伝わることばや論理を磨こうとする人は少なかった。

それが自分の場合のうつの原因だ、と彼は言っている。
その中で、次第に彼は論理の展開が追う能力がなくなってしまったのだと。

そうなのか、と思った。
私は、自分がなぜこの「通信」を書きつづけることができないのか、よくわからなかった。
要は年をとって「意欲が低下しているのだ」と思っていた。
しかし、実は、それ以前に、私の中で「論理的にものごとを考える能力」が極端に落ちてしまっていたのだ。
なぜか?

それはわかっている。
あの安倍のせいである。

彼やその取り巻きくらいことばをないがしろにしているものはいない。
軽んじているものはいない。
相手のことばを決して聞かないし、相手に伝わることばを話そうともしない。
ことばはものごとを考える手段どころかコミュニケーションの手段ですらない。

そのことがどれほどこの国を毒しているか。

私だけではあるまい。
日本中に鬱が蔓延している。

 

「真摯に」
「まさに」
「しっかりと」

彼らは具体的事柄の代わりに、常に副詞、あるいは連用修飾語をつけて語る。
連用修飾語に逃げる。
それはものごとをまともに考えようとしていない証拠だ。

「前向きに」
「粛々と」
「誠心誠意」

彼らのことばは何も具体を語らない。
しかし彼らはこれで何かを語ったと思っているのだ。

《骨太の方針》!
《戦略的互恵関係》!

さ、いったい、なんや?

ウソツキとゴロツキが、正副総理でござい、とふんぞり返っているこの国である。

ああ、戦前もこんな時代だったのだと、今になってわかる。