襄公慈父なる者有り。
諸侯に覇たらんと欲し楚と戦う。
公子目夷、その未だ陣せざるに及んで之を撃たんことを請う。
公曰く「君子は人を阨(やく)に苦しめず」と。
終に楚の取る所と為る。
世笑いて以て宋襄の仁と為す。
(宋の国の王様に襄公という者がいた。
天下を取って諸侯に覇をとなえようと思って楚の国と戦った。
公子の目夷が、相手の陣形が整わないうちに攻めましょうと言ったが、襄公は
「君子というものは、人の弱みに付け込んだりしないものだ」
と言ってその進言を退け、敵の布陣を待って戦ったが、結果、負けてしまった。
世の人々はそれを「宋襄の仁」と言って笑った。)
― 「十八史略」―
今からどれほど前の話か忘れたが、甲子園で、星陵の松井が高知の明徳義塾に連続敬遠されたことがあった。
その敬遠のたびに金沢の路地には家々から漏れ出る「どいやどいや」の声が響いたという。
昨日のサッカーを見ていて、そんな昔のことを思い出した。
野球もサッカーもプレーするものであって、ジョブではない。
プレーだからこそ、それをやるものも観る者もたのしいのだ。
二千五百年前の宋の襄公は、戦いにおける無意味な仁義立てを笑われたそうだが、わたしはスポーツにおいてそれを笑う者には与(く)みしない。
日本はあのような戦いをして決勝トーナメントに進出した。
皮肉にも、日本がそれを果たせた根拠が「フェアプレー・ポイント」というものであったとは。
私は松井と出身を同じくする石川県人である。
なんとくだらぬ決勝トーナメント進出であろうと思った。