前略

 

今月の初めのころ、新聞に《the challenged》ということばが載っておりました。

なんでも今アメリカでは心身に障害を持つ人のことをこのようにいうのだそうです。
たぶん君は知っていたとは思いますが、私にははじめて聞く言葉でした。
記事によれば、なんで彼らのことを《challenged》というかといえば、それは彼らが「挑戦すべき使命を与えられた人」であるからだ、と書いてありました。
もともと使われていたであろう《the handicapped》ということばの本来の意味が、ここでいう《the challenged》と同じように「それに堪えうる強者としてハンデを神から与えられた者」ということなのか、それとも「弱者としてハンデを社会から与えられるべき者」ということなのか、私はつまびらかにはしないのですか、すくなくともそのことばが歴史的に担ってきた差別的なニュアンスを消すために使われ始めたそうです。

 

このことばを目にしたとき、なるほど、《challenged 》であるか、と思いました。

しかし、《the challenged》ははたして「障害者」だけを指すことばなのであろうか、とも思いました。
あらゆる人々もまた実は《challenged》なのではあるまいか思ったのです。

 

それから数日して、新聞にこんどは次のようなことばが載っておりました。

 

人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。

 

これはナチの強制収容所に入れられていた精神科医のヴィクトール・E・フランクルが書いた「夜と霧の中」の中にあることばだそうです。

 

彼のいた収容所ではクリスマスから新年にかけてもっとも多くの人々が死んでいきました。
しかしその死因は飢えと寒さではなかった、と彼は書きます。
この時季に命を落とした人たちは
「ひょっとすればクリスマスに解放されるのでは」
というかすかな希望を抱いていた人たちだったというのです。
その希望が失われたとき、人々は死んでいったのです。

だからこそフランクルはそのことを総括してこう書いた。

人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。

それは、極限にあって生死を分かつものは、そのような場所にあっても自らを《challenged》としてとらえられるかどうかだったと述べているように私には思えました。
そして、極限状態にあってそうあり得る者は、ふだん日常においてもまた、同じように振る舞い得た者であったろうと思いました。

 

幼少年期、人は親や周囲の者たちから「恩恵を与えられるべき者」として存在しています。
けれども、そのような少年期を過ぎて、青年期を迎えると、人は自立していきます。
自立とは、自らを「恩恵を与えられるべき者」としてではなく「自分は何ものかに《challenged》されている者だ」としてとらえ直すことができる人間になっていくことを指すのでしょう。
けれども、そのような人間として自立していくことは必ずしも容易なことではない。
だからこそ、クリスマス明けの収容所では多くの人が死んでいったのです。

縁あってわたしは君の人生の半分を見てきたことになります。

それはとりもなおさず、君が《challenged》へと「自立」するための格闘、ジタバタを、近く、あるいは遠くから見てきたということです。

君が大学院に進んだこの一年、会う機会はそれほどありませんでした。
けれども、この一年、君がさまざまな人に会いたくさんの本を読んできたことが、君自身の「自分が挑戦すべき使命」に出会うための格闘であったことを私はよく知っています。

 

お誕生日おめでとう!

君の24歳が、君の23歳同様、君にとって意義ある素晴らしい一年であることを祈っております。

 

蛇足ながら、私もまた、来年を自らを《challenged》としてとらえられる一年にしようと思っています。

66歳になっても、人生は私に何かを期待しているはずですから。

 

ではでは。

 

2018年12月

 

 

寺西 弘