高野(こうやの)証空上人、京へのぼりけるに、細道にて、馬に乗りたる女の、行きあひたりけるが、口ひきける男、あしく引きて、聖の馬を堀へ落としてけり。

聖、いと腹あしくとがめて、
「こは希有(けう)の狼藉かな。
四部(しぶ)の弟子はよな、比丘(びく)よりは比丘尼(びくに)劣り、比丘尼より優婆塞(うばそく)は劣り、優婆塞より優婆夷(うばい)劣れり。
かくのごとくの優婆夷などの身にて、比丘を堀に蹴入れさする、未曽有の悪行なり」
と言はれければ、口ひきの男、
「いかに仰せらるるやらん、えこそ聞き知らね」
といふに、上人なほいきまきて、
「何と言ふぞ、非修非学(ひしゅひがく)の男」
とあららかに言ひて、きはまりなき放言しつと思ひける気色にて、馬ひき返して逃げられにけり。

尊かりけるいさかひなるべし。

 

高野山の証空上人が、京に上ろうとして、細い道で、馬に乗った女が、その上人に出会ったのだが、その馬の口を引いていた男が、引き綱を引きそこなって、上人が乗った馬を堀に落としてしまった。

上人はたいそう腹を立ててとがめだて、
「これは、なんたる狼藉であることか!
四種の仏弟子の中ではだな、(出家した男である)ビクよりは(出家した女である)ビクニは劣っていてだな、そのビクニよりは(在家の男である)ウバソクは劣っていてだな、ウバソクよりは(在家の女である)ウバイが劣っておるのじゃ。
そのような在家女のウバイの分際でだな、僧であるビクをだな、堀の中に蹴飛ばして放りこませるとは、いまだかつてないほどの悪行じゃ」
とおっしゃられたところ、口取りの男が
「何をおっしゃっていられるのでしょうか、むずかしくておっしゃっていることがまったくわかりません」
と言うと、上人はますますいきり立って、
「何を言うのじゃ、この(仏道修行もせず学問もしない)ヒシュヒガクの男め!」
と荒々しく言ったあと、とんでもない言いたい放題の悪口を言ってしまったと思われたようすで、自分の馬を引き返して逃げられなされてしまった。

さぞかし尊いいさかいだったことでしょう。

 

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和顏愛語。
「ワゲンアイゴ」と読みます。
いつでもにっこりやさしい言葉。
これ、仏教者たる者の常に拳拳服膺すべきの言葉でございます。

しかるに、ここに出てきた高野山の証空上人は、細い道で行きあった、女を乗せた馬の口取りに堀に落とされて、とっさに、かっとしたんですな。
仏道修行をなさっているはずの僧侶の身でありながら。
(なんで、僧侶の私が、こんな下賤の者に!)
で、思わず、口走ってしまう。
「ビク、ビクニ、ウバソク、ウバイ」
聞かされた口取りの男、何やら意味不明の横文字か、カタカナ言葉を連発されてるようなもんです。
坊様がいかっておられることはわかる。
わかるが、何を言っているのかわからない。
で、尊敬語を添えて、おずおずと聞くわけです。
「いかに仰せらるるやらん、えこそ聞き知らね」
すると、相手に通じないから、上人、ますます激昂して、怒鳴るわけです。
「このヒシュヒガクの男め!」
でも、この《ヒシュヒガク》も、今なら、英語で
You, idiot !
とか言ったみたいもんです。
たぶん、言われた男はぽかんとしている。
その、ポカンとしている顔を見て、上人、不意に恥ずかしくなる。
(いったい、わしは何をしておるんじゃろう。
仮にも、仏弟子第一の位置にある比丘の身でありながら、思いあがって救うべき衆生であるこのような者たちに慢心をいだき、瞋恚(しんい=怒り)に我を忘れるとは!
ああ、はずかしい、はずかしい・・・・・。)
それで恥ずかしさのあまり、そそくさと馬を返すわけです。

そういえば、オスカー・ワイルドにこんな言葉があります。

すべての聖人には過去があり、すべての罪人には未来がある。

実に、正しい言葉ですが、聖人と呼ばれる人は、現在も自分が犯してしまいがちな罪に敏感であるがゆえに聖人たりうるのかもしれません。

実に、尊かりけるいさかひなるべきゆえんでございますな。