小鯛さす柳すずしや海士が軒 芭蕉
お盆の墓参り訪れた金石の本龍寺では迷路を正しく通り目的のお墓
に辿りつくために略図が必要です。
潮聲山本龍寺といい1602年に越中砺波山田の荘梅原から金石に移っ
たとのこと。境内には元禄二年七月二十三日に立ち寄った芭蕉の句碑
もあります。
新暦なら九月初旬でしょうか。
ドローンを使わないで撮った色付く田んぼ
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おたよりありがとうございます。
芭蕉の句を見て、
「なに、芭蕉は金石でも句を詠んでいるのか!」
と、さっそく手元の小学館の
日本古典文学全集 「松尾芭蕉集」
を開いてみたところ、
この句の前書きに書かれた「西浜」の語の頭注として、その場所、諸説ある中のその一番目に
(1)金沢の海岸 金石 (旧名「宮ノ越」)。
とありまして、なあるほど、と鼻の穴を広げたことでした。
一方、この句の解には
いま取りたての小鯛を柳の枝にさして下げている。その柳の緑がいかにも涼しげであることよ。
という解と
柳を小鯛にさす枝と取らないで、漁夫の家のそばにある柳の木とし、柳の木蔭で取って来た小鯛に串を刺している漁夫の家のさまとし、その柳の木が涼しげであるとする解も成り立つ。
という別解とが書かれていました。
私は、てっきり後者のように思って読んだのですが、うすべにの小鯛に、緑の葉の残る柳の枝を刺すという、その色合いの妙もなかなか涼しげです。
いただいた色づく田の写真、同じ芭蕉の「奥の細道」に、
かがの国に入(いる)。
と書かれた後にある
わせの香や分入(わけいる)右は有磯海(ありそうみ)
の句を思い出しました。
なつかしいその匂いも思い出しました。
まだまだ
あかあかと日は難面(つれなく)も
ではございますが、こちらも朝夕、すこしは過ごしやすくなりました。
すてぱん