「囲碁・双六好みて明かし暮らす人は、四重五逆にもまされる悪事とぞ思ふ」
と、あるひじりの申しし事、耳にとどまりて、いみじく覚え侍る。

 

「囲碁や双六を好んで、それにうつつを抜かし、夜を明かし、日を暮らしている人は、仏教でいう、殺生・偸盗(ちゅうとう)・邪淫・妄語の四重の罪や父母殺傷などの五逆にもまさる悪事だと思いますわい」
と、ある聖が申していたことが、耳に残って、まったくその通りだと思うことです。

 

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どうやら、私も司氏も、ここに出てきた聖に言わせると、「四重五逆」の罪を犯す悪人以上の大ダラブチということになります。
ヨワッタモノデス。

しかし、こんな言葉が耳に残って離れないというのは、兼好さんその人が、すくなくともある時期、
囲碁・双六好みて明かし暮らす
生活をしていたことがあるからにちがいありません。
実は大好きだった。

それは、この一段前の話からも明らかでしょう。
たとえば、株に興味のない人間は、株で儲ける方法なんて人に聞きはしませんもの。
たとえ聞いても、耳に残りません。
双六のことだって同じことでしょう。

思うに、これを書いたとき、兼好さんは囲碁やら双六に負け続けていたのかもしれない。
そんな中、ひょいと我にかえったとき、ふとその聖の言葉を思い出して書き付けたのかもしれない。

まあ、そうじゃなくても、この手の勝負事は、あるとき、憑き物がおちたみたいにバカバカしくなってしまうものですしね。
そんなとき、人は、昔の自分の馬鹿さ加減を思って、かつて聞いた年寄りの意見なんぞを思い出し、
いみじく覚え侍る
なんて、殊勝なことを口走りがちなものです。