今出川のおほい殿、嵯峨経おはしけるに、有栖川のわたりに、水の流れたる所にて、賽王丸(さいわうまる)、御牛を追ひたりければ、あがきの水、前板までささとかかりけるを、為則(ためのり)、御車のしりに候ひけるが、
「希有(けう)の童(わらは)かな。
かかる所にて御牛をば追ふものか」
と言ひたりければ、おほい殿、御気色あしくなりて、
「おのれ、車やらん事、賽王丸にまさりてえ知らじ。
希有の男なり」
とて、御車に頭(かしら)を打ち当てられにけり。
この高名の賽王丸は、太秦(うずまさ)殿の男、料の御牛飼ぞかし。
この太秦殿に侍りける女房の名ども、一人は、ひささち、一人は、ことつち、一人は、はふはら、一人は、おとうしとつけられけり。
今出川の大臣殿が、嵯峨へお出でになられたときに、有栖川のあたりの水が流れているところで、牛飼い童の賽王丸が、その牛を追いたてたので、牛が蹴立てる水が、牛車の前板にざぶざぶとかかったので、車に同乗していた家来の為則が、
「とんでもない牛飼い童だ。
こんなところで、御牛を追いたてる奴がいるか!」
と言ったところ、大臣殿は、機嫌が悪くなって、
「きさまは、牛車の御しかたを賽王丸よりも知っているとでも言うのか。
とんでもない男だ」
と言って、牛車に為則の頭を打ち当てなさった。
この腕がいいと評判の賽王丸は太秦殿の召使いの牛飼いであった。
ちなみに、この太秦殿に仕えていた女房たちの名前は、一人はひささち、一人は、ことつち、一人は、はふはら、一人は、おとうしという、牛に関係のある名前が付けられていたそうだ。
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《平治物語絵巻》という、とてつもなく素晴らしい絵巻がある。
国宝である。
そこに牛車もたくさん描かれているのだが、それを引く牛たちというのが、実は、どれもとてつもなく荒々しい。
鼻息荒く後ろ脚を蹴上げているのもいる。
静かにしているのも筋骨隆々。
どいつもこいつも、隠岐の島あたりの闘牛で横綱・大関を張れそうな牛ばかりである。
で、その傍らには牛飼い童がつている。
牛飼い童というのは、名前は童(=少年)とはいうが、見れば、屈強のおっさんである。
これは、アメリカ西部の cowboy だって まったく boy なんかじゃないのと同じである。
ジョン・ウェインがマッチョだったように、牛飼い童もごつい。
まあ、絵巻を見てもらえばわかるが、あんなごつい牛たちは、屈強なおっさんでなければ、御し得ない。
そのおっさんたち、髪を後ろに束ねて、皆、裸足である。
絵巻の中、甲冑を身につけた武士たちが居並ぶ中でも平然として牛のそばにいる。
武士なんかにビビっていない。
さて、ここに出てくる賽王丸という牛飼いも、たぶん相当ごつい男だったにちがいない。
それが、ざぶざぶ川の流れの中に牛車を走らせるのである。
水もかかったろうが、石ころだらけの河原である。
相当に揺れたにちがいない。
為則は、腹をたてたおほい殿に、牛車に頭を打ち当てられたというが、それ以前に、揺れる車内で、頭を何度もどこかにぶつけていたにちがいない。
それもしたたかに。
念のために言っておけば、むろん、その当時、ゴム、なんてものはない。
だから牛車の車輪にゴムのタイヤなんてついてないのである。
車は、ただの木、そのものである。
クッションになるスプリングだってない。
ごつごつした河原の石ころの衝撃は、直に尻に響いただろう。
そういえば、「今昔物語」の巻の二十八に、坂田の金時(公時)が牛車に乗った時の話が出てくる。
坂田の金時、と言えば、言わずと知れた、赤ん坊のころ、熊にまたがりお馬のけいこをしたという、あの「マサカリかついだ金太郎」のモデルである。
豪傑である。
大きくなってから、大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)をやっつけたりしている。
その金時、親分の源頼光に従って京に出てきた時、仲間の坂東武者三人で、賀茂の祭の見物をしようということになったのだという。
馬で行くのはみっとむないから、牛車に乗って行こうぜ、ということになった。
ところが、「今昔物語」の作者によれば、この三人、だれも牛車に乗ったことがなかった。
初体験。
でも、女だって乗っている。
で、甘く考えて、乗ってみた。
ところが、乗ってみると、
物の蓋に物を入れて振らんやうに、三人振りあわせられ、
というんですから、まあ、この三人、カクテルを作るシェーカーの中に入れられた氷のようなもんですな。
揺れる、揺れる。
その結果、あるいは牛車の立て板に頭を打ち、あるいは自分ら同士でほっぺたをぶつけ、とたいへんな目にあったらしい。
で、目的地にたどりついたときには、揺られ揺すられ、すっかり車酔いして気分が悪くなり、三人とも寝込んでしまって、肝心の祭はみられなかった。
目が覚めてから、三人が語り合ったことには、、
「帰りもこんな車に乗ったりしたら、
我等が命はあらむやは
(わしら、死んでしまうぞ)」
というんで、三人歩いて帰ったんだそうな。
曰く
千人の敵の中を馬で駆け入る事はこわくもなんともないが、牛車ばかりは二度と御免だ!
とまあ、実は牛車というものは、一騎当千の坂東武者もビビるほどにコワイものだ、という話なんですが、これ、徒然草のこの話とは、あんまり関係ありませんでしたね。