寺院の号(な)、さらぬよろづの物にも、名をつくる事、昔の人は、少しも求めず、ただありのままに、やすくつけけるなり。
このごろは深く案じ、才覚をあらはさんとしたるやうに聞ゆる、いとむつかし。
人の名も、目なれぬ文字をつかんとする、益なき事なり。
何事も、めづらしき事を求め、異説を好むは、浅才(せんざい)の人の必ずあることなりとぞ。
寺の名とか、その他いろいろの物についてもそれに名前を付けるのに、昔の人は、すこしも凝ったりせず、ただありのまま、かんたんに付けたものだ。
しかるに、このごろはやたらと趣向を凝らし、自分の知識を見せびらかそうとしているようにしか思えぬ名を付けているのがあるが、実に見苦しい。
人の名前にも、見慣れぬ文字を付けようとするのは、何の益もないことである。
何事においても、めずらしいことを求め、普通と違うことを好むというのは、浅い学問しかない人が必ずやることであるという話だ。
/////////////////////////////////////////////////////
とまあ、ここで兼好は、前段の「ぼろぼろ」という名の由来からの連想で、名前を付けることにつて書いている。
その言はんとするところは、現代における、新しく開発整備されてできた町の名前や、マンションの名前、あるいはキラキラネームと称する近頃の子供の名に呆れている私たちと同じなのである。
人の名も、目なれぬ文字をつかんとする、益なき事なり
と、私たちだって言ってみたいこともある。
とはいえ、考えてみれば、子どもの名であれ何であれ、この世に新しく出来たものに名づけるということは、それなりに思いを込めるということであるから、その響きであれ、当てるべき漢字であれ、やっぱり深く案じるものではあるまいか。
それに、名前にだって、はやりすたりがあって、われわれのころはごく普通であった下に「子」が付く名前の女の子なんて、今や20人に一人もいないくらいであろう。
しかし、百姓の子であったわたしの母の名は、きよ、であり、叔母たちの名前が、あき、みどり、としえ、せき、という名であることからみて、女の子の名に「子」を付けるのだって、ある限られた時代の流行りだったにすぎまい。
多くの人は、深く考えたところで、結局なんとなく周りと似た名を付けていくものなのである。
ただそれが時代によって変わってゆくのである。
名前と言えば、昔、新聞で見た年度別命名ランキングの表によると、私の「弘」という名は、昭和28年生れの男の子の名前ランキング一位であった。
そのことには、あまり驚かなかったのだが――なにせ、当時は同じ教室に3人くらいは「ひろし君」がいた――、私の父の名である「正二」もまた、父の生まれた年の命名ランキングの1位である事には驚いた。
父子二代続けてのダービー制覇みたいもんである。
すばらしい!
(ちがうか)
ちなみに、父の生れ年は大正二年である。
どうやらそれで、その年の一位は「正二」であったらしい。
大正二年で、「正二」!
あまりに安直である。
安直ではあるが、
昔の人は、少しも求めず、ただありのままに、やすくつけけるなり
だったのであろう。