鯉のあつもの食いひたる日は、鬂(びん)そそげずとなん。
膠(にかは)にも作るものなれば、ねばりたるものにこそ。

鯉ばかりこそ、御前にても切らるるものなれば、やんごとなき魚なり。
鳥には雉(きじ)、さうなきものなり。
雉・松茸などは、御湯殿(みゆどの)の上にかかりたるも苦しからず。
その外は、心うき事なり。
中宮の御方の御湯殿の上の黒御棚(くろみだな)に雁(かり)の見えつるを、北山入道殿の御覧じて、帰らせ給ひて、やがて御文にて、
「かやうの物、さながらその姿にて御棚にゐて候ひし事、見ならはず、さまあしき事なり。
はかばかしき人のさぶらはぬ故にこそ」
など、申されたりけり。

 

鯉の熱い煮物を食べた日には、鬂(びん)の毛がそそけ立たない、ということだ。
鯉は、膠(にかわ)も作るものなので、それを食べると髪に粘り気が出るのであろう。

鯉だけは、天皇の御前で切って料理されるものなのであるから、格別の魚なのだ。
鳥でいうなら、雉が、並ぶものがないものである。
雉や松茸は、(天皇の御座所に続く、湯や食物を整える部屋である)御湯殿に掛けてあっても、見苦しくない。
それ以外のものがそこに掛けられているのは、不快なものである。

中宮のお部屋の御湯殿の上の黒い御棚の上に雁がのっているのが見えているのを、(中宮のお父様の)北山入道殿がお目に留められた後、お帰りになられて、すぐにお手紙で、
「あのようなものを、そのままの姿で御棚に置いてございましたこと、見慣れないことで、みっとむないことです。
ちゃんとした人がおそばにお付きしていないからでしょう」
などと、申されたそうです。

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「びん」というのは、言うまでもありませんが、頭の側面、耳の上あたりのことですな。
私がこの言葉に初めて出会ったのは中学校の一年の国語の教科書でした。
そこに載っていた漱石の「坊ちゃん」の中に、清が

しきりに胡麻塩のびんの乱れをなでた、

とかいうような言葉が出てきて、当然、こっちはそれを《胡麻塩の入ったガラスびん》のことだろう思っていたので、たいそう驚いたのを覚えております。

まあ、結いあげた髪がほつれるのは、だいたいこの鬂の部分に決まっているが、鯉のあつものを食べたからといって、直ちに髪の毛がポマードを塗ったみたいになるのかどうかは知りません。
とはいえ、膠(にかわ)の原料、まあ、今ならコラーゲンというのでしょうか、そういったものだから、髪もしっとりしてくるんでしょうか。
なにせ「膠」という字、「膠着(こうちゃく)」という言葉もあるくらいですからね、くっつくんでしょうな。

それはさておき、私の部屋もはかばかしき人のさぶらはぬ故でしょうか、あらぬところにあらぬものが見えて、いとさまあしき事にございます。
まあ、片付けぐらい自分でやれよ!ということなんですがね。