鎌倉の海に、かつをといふ魚は、かの境ひには、さうなきものにして、このごろもてなすものなり。
それも、鎌倉の年よりの申し侍りしは、
「この魚、おのれらが若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づること侍らざりき。
頭(かしら)は下部(しもべ)も食はず、切り捨て侍りしものなり」
と申しき。
かやうの物も、世の末になれば、上(かみ)ざままでも入りたつわざにこそ侍れ。

 

鎌倉の海でとれる鰹という魚は、あのあたりでは、最高にうまいものとして、このごろもてはやしているものである。
しかし、それについて、鎌倉の古老が申しましたことには、
「この魚は、わしらが若かった頃までは、れっきとした身分の人の前に出す、なんてことはなかったしろものです。
その頭なんぞは、身分の低い者でも食べす、切り捨てましたものでございます」
と申しました。
こんな下等な魚でも、末法の世ともなれば、上流の人々の間にも入り込むということでございますな。

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前段で鯉のことを書いた兼好は、
「鳥のさうなきもの(双なきもの)がキジである。
そして、魚のさうなきものは言うまでもなくコイ。
それなのに、関東くんだりじゃあ、カツオ、などという下魚を・・・・」
と思いついてこれを書いたんでしょうな。

でもね、カツオはうまいぜ。
まあ、新鮮な美味いブリがとれる金沢の人々に言っても、
「何がカツオじゃ、あんなもん、ダラんねぇか」
と、言われそうな気がするが、私、こちらに移ってから、鰹の刺身、たいそう好きになった。
現に、ついせんだっての日曜も、片身の柵を一本、ぺろり、いただいたもんですが、たしかに秋のカツオは初夏のそれに劣るとはいえ、それでも、うまいはうまい。

まあ、こんなことを言えるのも、醤油があるからですな。
思えば、醤油なんてのが、一般化したのは、江戸に入ってからです。
兼好の時代にも、上つ方にすでに「たまり醤油」ってえのがあったのかなかったのか知りませんが、まずはなかったと考えていい。
生姜刺身で食べないんじゃあ、カツオのうまさはわからないでしょう。
(そういえば、鯉の刺身は酢醤油でいただきますもんね)

だいたい、兼好は前段で
鯉ばかりこそ、御前にても切らるるものなれば、やんごとなき魚なり
ってイバッテいたけれど、なんせ、京都は、内陸の盆地ですからね、手に入る新鮮な生きている魚なんて、淡水魚に限られている。
その淡水魚の王様ということになれば、
鯉、
ってことになる。

でも、これ、どうみても、夜郎自大、でございましょう。
井の中の蛙、ではありませんが、盆地の貴族、大海を知らず、ですな。
そんなところに住んでいて、カツオのような足の速い魚を生で食べる機会なんてありはしない。
とすれば、カツオを食するときはまあ、鰹節か、さもなければ生利(なまり)節ですな。
なまり、なんてのは、煮たって、ぱさぱさしてちっともうまくない。
兼好ならずとも、かやうの物、と言いたくなる。

それしても、だいたい、
頭は下部も食はず、切り捨て侍りしものなり
って、おかしいでしょう。
カツオの頭なんて、下部どころか、うちの猫だって食べない。
こんな発想がでてくるのは、魚料理といえば「あつもの」というイメージしかないからでしょう。
まあ、「鯉こく」ともなれば、そこにはたしかに頭も入れるでしょうが、そもそも、刺身という発想がないから、こんなことを書いてしまうんでしょうな。

と言うわけで、醤油を発明してくださった先人に、感謝の思いばかりが湧く章段でした。