昭和十一年大阪タイガース結成とともに入団、初代主将、二十七歳。
十五、十六年と監督。
昭和十九年まさかの召集(三十五だっせ)、沖縄へ。

 

戦地の話は勿論凄いのだが、途方もない呑ん兵衛には笑うほかない。

 

例えば、毎日一升は当たり前。機嫌が悪いと二升、三升。
銚子を三十六本並べたとか、(後の南海監督)鶴岡一人と二人で、銚子を部屋中一回りさせたとか。

 

でも人望もあったんですな。
戦後、請われて再び選手兼任監督となり、ある試合で藤村富美男(選手兼任助監督)が打者の時、ファールか三振かで藤村が審判を小突いた。
松木は「アカン、藤村の連続出場が駄目になる!」と思い、審判に突進し、腰投げをくらわした。
自分が退場を買って出たんですな。
勿論審判は松木に「退場!」を宣告し、藤村にも「お前はよ帰って風呂入れ」と告げた。
藤村は「試合に勝ってから入るわ!」と言うと、審判は改めて藤村に「退場!」を宣言。
そして審判杉村は怒り狂った藤村のパンチを浴び、熱狂的阪神ファンがグラウンドになだれ込み、杉村は控え室に逃げ込み、「ゲームセット」(没収試合)を告げた。

 

沖縄から初めて甲子園出場を果たした首里高校。
昭和三十三年、まだアメリカの軍政下にあった。
一回戦の相手が敦賀高校。
敦賀は松木の出身地だ。
双方に思い入れが深い。
感無量で見守る中、試合は三対0で敦賀の勝ち。
この敦賀の五番打者(五打数三安打)が辻佳紀、そう、あのヒゲ辻だ。
そして松木は辻の仲人を努めている。

 

昭和六十年、永眠の前に松木謙治郎、阪神タイガース日本一を見届け、翌年二月永眠。

 

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おたよりありがとうございます。

今年の阪神は強いのか弱いのかよくわからんですな。
とはいえ、今日は巨人に勝ったみたいだし、よしとしましょう。

それにしても、雨ばかりの九月です。
雨はさっきまで音を立てて振っていたのですが、今はあがったのでしょうか、虫の声が聞こえています。

 

三日続けば俘虜のごとくに秋の雨

 

すてぱん