無益(むやく)なことをなして時を移すを、愚かなる人とも、僻事(ひがごと)する人ともいふべし。
国のため、君のため、止むことを得ずして為すべき事おほし。
そのあまりの暇(いとま)、いくばくならず。
思ふべし、人の身に止むことを得ずして営むところ、第一に食ふ物、第二に着る物、第三に居る所なり。
人間の大事、この三つに過ぎず。
饑(う)ゑず、寒からず、風雨にをかされずして、閑(しづ)かに過ぐすを楽しびとす。
ただし、人みな病あり。
病にをかされぬれば、その愁へ忍びがたし。
医療を忘るべからず。
薬を加えて四つの事、求め得ざるを貧しとす。
この四つ欠けざるを富めりとす。
この四つの外を求め営むを驕(おご)りとす。
四つのこと倹約ならば、誰の人か足らずとせん。
役にも立たないことをやって時を過ごす人は、愚かな人とも、道理にはずれたことをやる人とも言ってよい。
人は、国のためや、主君のために、やむをえずやらなけらならないことが多い。
となれば、そのほかの余った時間などというのは、いくらもないことになる。
考えてもごらんなされ、人の身に生れてやむをえず行ない求めるものといえば、第一に食べる物、第二に着る物、そして第三に住む所である。
この世の大事なことといえば、この三つ以外にはない。
飢えず、寒からず、風雨におかされずに、こころしずかに時を過ごすのを楽しみと言うのだ。
ただし、人間というのはみんな病気になる。
病気になると、その苦しみは堪えられない。
だから、医療の事も忘れてはいけない。
だからこそ、この衣・食・住に医を加えた四つの事を、求めても手に入れられないことを貧しいというのだ。
また、この四つが欠けていないのを、豊かであるというのだ。
そして、この四つ以外の事を、求め行なうことを驕りというのだ。
そもそも、この四つのことが無駄遣いせずにいて足りているなら、誰がそれで不足を感ずるだろうか。
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人間に欠くべからざるものとして衣・食・住があることは誰でも納得がいく。
しかし、そこに医を加える必要があるなどと、若い頃は思い浮ばない。
すくなくとも、私には、まるで実感が伴わなかった。
血気、体に満ちて、病気なんぞ、遠い遠い世界の事である。
杜甫の
老病孤舟有り
なんて詩句も、この人はそもそも病弱だったんだろう、なんて思っていただけだ。
要は、人間が本来持っている「弱さ」に対する想像力がない。
慈しみが足りない。
(もっとも、それは私に限ったことであったのかもしれないが)
今、そうやって考えてみれば、兼好が少し前の章段で、
友にするにわろきもの七つあり
として上げていた
高くやんごとなき人。
若き人。
病なく身強き人。
酒を好む人。
たけく勇める兵。
虚言する人。
欲深き人。
のすべてが、実は、相手の弱さや痛みに対する想像力が欠けるうらみがある人たちであった事がわかる。