夜の御殿(おとど)は東御枕(みまくら)なり。
おほかた、東を枕として陽気を受くべき故に、孔子も東首(とうしゆ)し給へり。
寝殿のしつらひ、あるは南枕、常のことなり。
白河院は、北首(ほくしゅ)に御寝(ぎよしん)なりけり。
「北は忌む事なり。
また、伊勢は南なり。
太神宮の御方を御跡(おんあと)にせさせ給ふ事、いかが」
と、人申しけり。
ただし、太神宮の遙拝(えうはい)は、巽(たつみ)に向はせ給ふ。
南にはあらず。

 

清涼殿にある天皇の御寝所では、東に頭を向けて眠られます。
だいたい、東を枕にすれば、万物の動き出す陽気をけることができるので、孔子も東に頭を向けて寝られたのです。
寝殿造の建物の寝所も、東枕、もしくは南枕であるのがふつうなのです。
ところが、白河上皇は北枕で御寝なされました。
「北に頭を向けるのは忌むべきことです。
そのうえ、伊勢は御所から南の方角にあたります。
伊勢神宮の御方に御足をお向けになるのはいかがなものでありましょう」
と、ある人が申したそうです。
ただし、伊勢神宮への遙拝は東南の方角に向かってなされます。
南ではありません。

 

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死者を北枕にするのは、お釈迦様が入滅された時が、そうだったという説があります。
釈迦の涅槃像を見れば、けっして仰臥してはおらず、体の右側を下に寝ております。
その姿勢をまねて寝て頭を北にすれば、顔は西を向くことになるので、ちょうど西方浄土の方に顔が向くというので、日本ではそういうことになったのかもしれませんが、まあ、よくはわかりません。

どうでもいいことですが、わたしはふだん北枕で眠っております。
別に「頭寒足熱」のためなどというもっともらしい理由があるのではなく、ただただ、部屋の造りがそうなっているだけのことです。