鉄亜鈴部屋にごろごろ文化の日

                    狼騎

 

 

ダンベルの形は、所謂機能性を重視したものですが、如何にも野暮な形です。これなら鉄の塊の方が重量感や力強さ、芸術性もあると思っています。この機能性というのが如何にも厄介で、大方の男性は自らの筋力アップかフィットネスの為にこれを購入したのでしょうが、半年も経たないうちに、不安定な椅子や脚立を固定する重石として利用する事になるのが関の山です。

大体、ダンベルなどを振り回せば筋力が強くなるなどという話しは全くつまらないおとぎ話です。そもそも人が筋肉を大きく強くするという事なんぞは、若いスポーツ選手ならいざ知らず、六十才を過ぎた老体にはまず百害あって一利なしでしょう。

仮にダンベル体操で血行が良くなったり、健康になったと思っている人にとっては、それはそれでよろしいでしょうが、良い選択ではありません。

私ならダンベルなどは捨てて、体の為にはまず腕立て伏せと四股ふみを推奨します。腕立ては両腕で地球を押します。四股は脚で大地を押し込みます。地球のエネルギーが身体に伝わり、生きる希望が涌いてくるのです。

腕立て伏せと四股ふみは我々の心を解きほぐし、その精神を高い次元へと飛翔させるものです。それは、大きな困難を抱えたとき、自らを導いてくれるものであり、より高度な精神の在り方を模索する過程なのです。

          

 追 酒止めました。

 

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おたよりありがとうございました。

そうなんですな、ダンベル、じゃなくて、四股、だったんですな。
何をかくそう、実は私も毎日四股を踏んでいるんです。
この秋、下半身が冷えないのはそのせいかもしれない。
おかげで、今朝も私は、上半身グンゼ・ヤングマン肌着一枚の「裸の大将」状態です。

ところで、ダンベルは 英語では《dumb-bell》 と書きます。
《dumb》は「おし」、すなわち「口きけぬ人・物言わぬ人」のことですから、《dumb-bell》とは「音鳴らぬ鈴」という意味ですな。
なあるほど、たしかにあの形、鈴と言えば鈴と言えるかもしれない、と明治の人は思ったのかもしれない。
よって、その直訳語たる「亜鈴」の「ア」の字は、本来、唖者・聾者の《唖》の字を当てるのが正しいんでしょう。

さて、宗匠の句、その、鳴らぬはずの鉄亜鈴が「ごろごろ」というのが俳味ですし、そこに「文化の日」を配したところも妙ですな。

ところで、昨日の朝日新聞によれば、自民党には「文化の日」を「明治の日」に変えようなんてバカがおるそうですが、いったい、あの人たち、何がうれしいのでしょうか。

すてぱん