身死して財(たから)残ることは智者のせざるところなり。
よからぬ物たくはへ置きたるもつたなく、よき物は、心をとめけんとはかなし。
こちたく多かる、まして口惜し。
「我こそ得め」
などいふ者ありて、あとに争ひたる、様あし。
後は誰にと心ざす物あらば、生けらんうちにぞ譲るべき。
朝夕なくてかなはざらん物こそあらめ、その外は何も持たでぞあらまほしき。

 

 

自分が死んだあとに財産が残るようなことは智者のしないところである。
くだらない物をたくわえて置いてあるなんてのはばかげたことであるし、たとえそれがいい物だとして、死ぬときそれを心を留めてみたところでむなしい。
度を越して遺しておく財産が多いのは、まして感心しない。
そうなると
「私がもらっておきましょう」
などいふ者がいたりして、あとから争ひになったりするのは、見苦しい。
死んだ後はあの人にあげよう、と心に決めた物があるならば、生きているうちにその人に譲っておくべきだ。
ともかくも、日々の暮らしになくては困るような物は手元にあってもいいだろうが、その外は何も持たないでいるのが理想というものだ。

/////////////////////////////////////////////////////////////

 

 

智慧のあるほどの身でもないが、死んだ後、残すような財産がないという私なんぞ、下手をすると、兼好に

あやしき下﨟なれども、聖人のいましめにかなへり。

なんて、ほめられそうですな。

ともかくも、財を持ったことのない身が、この章段に関して云々するほど、ばかげたこともありますまい。

というわけで、私、ここは、完黙。