御随身(みずいじん)秦重躬(はたのしげみ)、北面の下野入道(しもつけのにふどう)信願(しんぐわん)を、
「落馬の相ある人なり。
よくよく慎み給へ」
と言ひけるを、いとまことしからず思ひけるに、信願、馬より落ちて死にけり。
道に長じぬる一言、神のごとしと人思へり。

さて、
「いかなる相ぞ」
と人の問ひければ、
「きはめて桃尻(ももじり)にして、沛艾(はいがい)の馬を好みしかば、この相をおほせ侍りき。
いつかは申し誤りしたるか」
とぞ言ひける。

 

御随身(みずいじん)の秦重躬(はたのしげみ)が、北面の下野入道信願を、
「落馬の相ある人だ。
よくよく慎重にして下さいませ」
と言ったのを、ほんとの事も思えないと思っていたが、信願は馬より落ちて死んでしまった。
道に長じた人の一言は、神のようだとみんな思った。

さて、
「信願が落馬の相を持っていたと言いますが、それはどんな相だったんですか」
と人がきいたところ、
「あの人はきわめてすわりの悪い尻の形をしておりましたのに、その上、気性の荒い馬を好んでおりましたので、落馬の相を持っておりました。
私が間違ったことをいつか言ったことがありますか」
と言った。

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人が将来こうむるかもしれない災いを占うというのは、どうやらその手相やら骨相やらを見ているのではないらしい。
実は、ふだんのその人の行動を見ているということなのだ。
それというのも「桃尻」とは、実は必ずしも「桃のような形の尻」という意味ではないらしいからだ(私はそう訳してしまったが)。
要は、乗馬がへたくそな人、をいう言葉なのだそうである。
信願という北面の入道が
きはめて桃尻(ももじり)にして、沛艾(はいがい)の馬を好みし
とは、
「馬に乗るのがヘタなくせにやたらに気性の荒い馬に乗りたがった」
ということである。
冷静に見れば、彼にはたしかに「落馬の相」はあったはずである。

私を知っている人で、
「テラニシ、おまえはきっと酒で失敗するからよくよく慎み給へ
と、若い頃、心に思わなかった者はいなかったはずだ。
その人が酒をたしなまない者ならば、なおさらにそう思ったことだろう。
予言とは、外部からフラットな目でその人のふだんのありようを見たときに、なんとなく感じるその人の将来像のことだ。

信長の事を、やがて
「高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候」
と予言した安国寺恵瓊という毛利の外交僧は、もちろん、信長の骨相、手相を観てそう言ったのではない。
利害を離れた外からの目で、相手の、自分や周囲の者に対するふるまいを見た印象を述べただけなのだ。
恵瓊という常識人の目から見て、それくらい信長の行動は奇矯だったのだろう。

そのような外部の人の意見を聞く機会を私たちはあまり持たない。
自分が、ある渦中にあって、しかも「得意」の時はなおさらだ。
仮に聞いたにしても、聞き流す。
「あんな奴にわかるもんか」
などと思う。

信願入道もまた、気性の荒い馬を乗りこなすのが「得意」だったのだろう。
秦重躬のことばも耳には入っただろうが聞き流していた。
この文章から見て、たぶん秦重躬は沛艾の馬なんかに乗らない人だったろうから、信願にしてみれば、自分の方が馬術は上手なのに、何をエラそうにと思っていたのかもしれない。

だが、外部から冷静な目で自分を見ている者の意見は貴重だ。
それを自分のいささか「得意」の時に直言してくれる人を、たぶんはほんとうの友人と言うのだろう。